種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー 特別編 Vol.1

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種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー 特別編


ご好評頂いております『種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー』、幼少期に始まり、CBSソニーからのデビューを経て、アルバム『Che Che-Bye Bye』の完成までたどり着きました。
今回は特別編として、デビュー・シングル「You’re The One」から3作目となる『Che Che…』までのプロデュース/アレンジを担当された武部聡志さんにお忙しい中お時間をいただき行いました対談を掲載致します。
面と向かってお話しされるのは20数年ぶりとのこと。時が経ってもお互いに対するリスペクトを忘れないお2人の素敵な関係が垣間見える内容になっていると思います。
どうぞお楽しみ下さい。

構成:種ともこスタッフ

Chapter 1. 出会いについて

武部:種ちゃんと初めて会ったのは…覚えてないでしょ?
種:覚えてないです!
武部:ソニーのディレクターの山口(忠生)さんから「新しい才能を見つけたから、ぜひ会って欲しい」って言われて、中目黒にあったハーフトーンミュージックのはす向かいのアートコーヒーで会ったの。
種:そうなんだ。
武部:事前にデモを聴いて、すごく難しそうな人だなあ…って印象を持ちながら初対面に臨んで「どういう音楽が好きなの?」って訊いたら、なんて答えたと思う?
種:う~ん。
武部:マニアックなことを言うかと思ったら、「松田聖子が好きです」って言ったんだ。それが初対面。デビューは何年だっけ?
種:1985年12月にシングルが発売されたから、その夏にはレコーディングしてるんですよ。
武部:じゃあ、会ったのは1984年の終わりか1985年の頭ぐらいだね。
種:その時のことは覚えてないんですけど…山口さんから「武部さんにプロデュースをお願いすることになった」って言われて…。
武部:「武部聡志って誰?知らねえよ」って(笑)。
種:本当に知らなかった…(笑)。その前に、エピックのディレクターとデビューに向けて話してたんですよ。オーディションで複数のディレクターが手を挙げてくれて、一番熱意が感じられたのがその人だったんです。彼が「プロデューサーはこの人で」ってことで、顔合わせもしたんですけど。
武部:それは誰だったの?
種:井上鑑さんです。
武部:鑑さんは「ルビーの指環」とか、いろんなヒット曲を送り出してたよね。
種:でも、そのディレクターは事務所を見つけられなくて、デビューには至らなかったんですよ。じゃあ、次に手を挙げてくれた山口さんということになって。それでもなかなか事務所が決まらなくて…最後の最後にシンコーミュージックに決まったんです。
武部:へえー。
種:それで、デビューが決まった段階で、山口さんから「武部さんとやります」って聞いて…当時、私は武部さんのことを知らなかったんで、「エピックのディレクターは井上鑑さんって言ってたんですけど」って話したら(笑)、山口さんが「君はこれからビッグになる人なんだから、今ビッグな人じゃなくて、これからビッグになる人と仕事をした方がいいんだ」って。
武部:それは正しいかも知れないね。
種:「そうか!」と思って。

Chapter 2. 初めてのレコーディングに向けて

-1985年頃、武部さんは薬師丸ひろ子さんや斉藤由貴さんのアレンジを手がけられてましたよね。
武部:斉藤由貴ちゃんのデビュー曲(「卒業」)で、やっとチャートに曲を送り込めるようになった時期。僕は1957年生まれだから、当時は28歳ですね。
種:ということは、私より4歳上…。
武部:そんなに違わないんだね(笑)。
種:私にとってはお父さんぐらいの存在感だったですね(笑)。今だと4歳違いなんて全然って感じだけど、知識量も段違いだし、気持ちとしては大先輩という感じでした。
武部:あの頃、ユーミンのプロデュースで僕がアレンジして小林麻美さんのアルバムを作ったんだけど(『CRYPTOGRAPH~愛の暗号~』)、その時に、入社したての山口さんが、アシスタント・ディレクター的な立場で現場にいたの。それで、コミュニケーションを取るようになって。その後、僕の名前がチャートに挙がるようになって、声をかけてくれたんだと思う。

-久保田利伸さんを手がけられたのは、種さんよりも後ですか?
武部:そう。徳永(英明)もかなあ。でも、アイドル・ポップスばっかりやってたら、今の僕はないから。アイドルのアレンジを手がける一方で音楽的に高い志を持ったアーティストと一緒に仕事できたことが、今の自分を作ってると思う。だから、あのタイミングで種ちゃんに出会えたことはすごく幸せだったね。

-実は、エンジニアが先に決まったんですよね?
武部:助(助川健)さんね。
種:山口さんと仲がよかったからね。
武部:麻美ちゃんのレコーディングも助さんだった。山口さんにしてみれば、初めて関わった現場にいたのが助さんであり僕だったから、自分で物事を決められるようになったら、一緒にやりたいって思ってくれてたんじゃないかな。だから、コミュニケーションもスムーズだったし…好き勝手やらせてもらったもんね、そういう意味じゃ。
種:まあ、そうですよね。
武部:今だったら、新人にそれほど制作費も使えないし、契約さえなかなかしてもらえないしさ。

Chapter 3.『いっしょに、ねっ。』レコーディング

武部:そして、晴れてレコーディングに入るわけだけど、「You’re The One」をどこでレコーディングしたか覚えてますか?
種:「You’re The One」っていうか、アルバムですよね?
武部:この曲だけ先に録ったんです。
種:チェリーアイランド?
武部:そう。青山にあった小さなスタジオなんだけど、この曲は生リズムじゃないから、まず先に録って、その次に六本木のセディックっていうスタジオで2曲目の「Fish Dancing」を録ったの。
種:よく覚えてますね(笑)。
武部:その時に「あのころの想い」も録ったかも知れない…あれも打ち込みだったからね。だから、大きなスタジオでミュージシャンを呼んで録る前のウォーミングアップとして「You’re The One」と「あのころの想い」を録音したんじゃないかと思うんだけど。

-「You’re The One」がデビュー・シングルになることは前もって決まってたんですか?
武部:いや、決まってなかったと思う。録って行く中で「やっぱりこれだね」ってなったのかも知れないけど…紐解いて行くと面白いね(笑)。
種:とにかく、武部さんがいろいろ教えてくれたから、今の私があるって感じですね。
武部:そんなことないよ。でも、今に比べると機材もまだまだ発達してない時代に、スタジオでいろんな実験をやったよね。それは音楽家としてすごく役立ってる。みんな、一生懸命考えてたじゃない…エンジニアも、ディレクターも我々も。
種:確かに、いろいろやりましたね。
武部:まず「You’re The One」はさ、MC4でイントロのドラムの連打を打ち込んでるわけだもんね。
種:私が覚えてるのは、…どの曲だったか忘れたんですけど、「キーボードを上手くノリに合わせるにはどうしたらいいんだろう?」とか言いながら、ハイハットとシンクさせようということになって…。
武部:そうそう(笑)。
種:でも、シンクさせたらすごく揺れてて…。
武部:(笑)だって、まだシークエンスとか、音をシンクさせる概念が確立してなかったし。
種:延々やってダメじゃんって(笑)。
武部:よくあったね、そういうこと。あと、忘れられないのがね、「10円でゴメンね」は、どうしても僕が電話の音をサンプルしてリズムにするイントロにしたいと思って、チェリーアイランドの下の電話ボックスでサンプルしたんだよ。あと、スタジオのオフィスの電話と。それらを全部組み合わせてリズム・パターンを作るのに6時間…みたいな(笑)。そんな時代だよね。

-種さんとしては、まだレコーディングの経験がなかったのに、武部さんが自分でピアノを弾くように後押ししてくれたのがすごくありがたかったそうです。
武部:最初にデモテープを聴いた時から、種ちゃんは単なるシンガーじゃなくて、ミュージシャンだと思ったのね。だから、自分で楽器も演奏するべきだし、ベースのアレンジが種ちゃんの頭の中にあるから、それを変えるんじゃなくて、本人のアイディアをどう拡げて行くかを考えてた。さっきの「10円でゴメンね」とか「You’re The One」とか「Fish Dancing」のイントロのギターのリバースとか…そういうアイディアはいっぱい出したけど、骨格は種ちゃんのデモがベースになってるもんね。
種:クリックを聴いて演奏するのが初めてだったから、全然出来なくて。美久月(千晴)さんと青山(純)さんに先にやってもらって、後で私のピアノを出来るまでやる方がいいはずなのに…。でも、一緒にやることを選択してくれた武部さんはすごいな、と思って。
武部:その方がみんなも種ちゃんの音楽の世界に入れるでしょ。
種:「下手でスミマセン…」っていう気持ちでいっぱいだったんですけど、錚々たるミュージシャンと演奏する機会を最初のレコーディングから設けてもらったことに関しては、すごく幸運なことだなと。
武部:バンドみたいにやりたいっていう意識があったのかも知れない。曲によってミュージシャンを代えるんじゃなくて、イメージをつかんでくれるプレイヤーとチームで作りたいって思ってたのは確かだね。

Chapter 4. 早すぎたんだよ、やってたことが

武部:聴き返すとすごくよく出来てるんだよ、このアルバム。曲も素晴らしいし、歌詞も素晴らしいし。僕はずっとイギリスのロックとか、プログレとかが好きで、そういうプログレッシヴな匂いを感じたんだよね。
種:なるほど(笑)。
武部:アメリカン・ポップスのような分かりやすいコード進行のものではない雰囲気を感じて、僕自身、すごく興味深かったんだろうな。
種:ありがとうございます。
武部:アレンジにはそういう要素があるんだけど、メロディはポップで。あと、1枚目は歌詞に寓話性があるっていうか、童話的っていうか…そこが魅力の1つだったと思うんだよね。今で言うならビョークみたいなもんだよね…もしかしたら。褒めすぎだけど(笑)。
種:(笑)はあー。
武部:早すぎたんだよ、やってたことが(笑)。
種:そういうことにしときますか。

-ちなみに、このジャケットをご覧になった時はどう思われましたか?
武部:種ちゃんらしいな、と思った。

-ソニー社内では反対意見もあったみたいです。
武部:当時は、オシャレでスタイリッシュなもの…青空、椰子の木(笑)、あと都会の夜景とかさ、そんなのが多かったと思うの。女の子だったら、白い麻っぽい服着て、緑の中にいるような…そういうものが求められていた時代だから。こういうところにもビョークっぽさが出てる(笑)。

-個人的には、どこか毒っ気を感じるんですけど…。
武部:毒とは違うのかも知れないけど、女性っぽさみたいなものをあんまり出したくなかったんだろうな、多分。
種:その頃、どこへ行っても、髪の毛がウェーブしてて、露出度の高い服を着ている女性がいっぱいいて。テレビ番組に出ても、周りがみんなそうだから、ものすごくいづらい感じが自分としてはありましたね(笑)。

-敢えて同じように見られなくしていた?
種:そうですね。そういう格好もしたくなかったし、ジャケットもそうなんですけど、とにかく「バカじゃないのー?」っていうのがやりたかったのかも。
武部:中性的な要素とか、ピーターパン・シンドロームじゃないけれど、大人になりたくない的な要素とか…そういうものが詰まってるんだよね、音楽にも。
種:そうかも知れないですね。

Chapter 5. 『みんな愛のせいね。』

-そして2枚目の『みんな愛のせいね。』ですが、このアルバムは、種さんによると、ほぼ全曲、東京に来てから作った曲が収められた…。
種:そういう意味ではプロ1作目なんですよね。『いっしょに、ねっ。』は、私がキーボードと作詞・作曲を担当して、まだ歌ってなかったアマチュア・バンド時代の曲がほとんどだったんです。だから、自分で歌うことを前提に、アルバムの全体像を考えて作ったという意味では、プロ1作目は本当はこっち、っていう感じなんです。
武部:なるほどね。この時だっけ?観音崎でこもったのって…。
種:あ…そう。
武部:観音崎のリゾートスタジオで、助さんが海を行き交う船をずっと見つめて…思い出した?
種:メッチャ煮詰まった!私、あれから合宿レコーディングはしないと決めたんです(笑)。武部さんもそういうのあんまり好きじゃないですよね?
武部:だって、バンド嫌いだし、共同生活も絶対嫌だから。当時の流行だったのかな?

-アルバムの前に「マーメイド・イン・ブルー」と「10円でゴメンね」の12インチ、「AiAi」がシングルで出てますね。だから、ほとんど休まずに働いてる感じですね。
武部:このアルバムはさ、1枚目よりも打ち込み率が高くない?技術が進歩したのかな。
種:とにかく「打ち込みを極める」みたいな気持ちが自分の中にあったんですよね。1枚目を作った後に、やっぱりプロのスタジオ環境ってすごいな、そういうものが映える曲を作りたいな、とは思ってましたね。「片恋同盟」とか、最初から打ち込みを意識して作った気がするので。
武部:「AiAi」はハイハットだけ生なんじゃない?…違うかな。江口(信夫)に観音崎まで来てもらった記憶がある。こんなキックの打ち込み、今は絶対やんないな(笑)。時代だよね。思い出した!この頃は、デヴィッド・ボウイの『Let’s Dance』とか…そんなことをやりたかったんじゃないかなあ。
種:そうだったんだ。今、知った(笑)。
武部:シンセのブラスなんかさ、そんな匂いがあるじゃん。あ、亀ちゃん(亀田誠治)と話した時に好きだって言ってくれた「片恋同盟」を聴いてみよう。
種:これは長い曲が書きたいと思って作ったんですよ。
武部:ドラムは生かな?ベースはシンセだけど。分かんないんだよ。
種:混合かな。
武部:この頃って、オケのベーシックでピアノの音が鳴ってないのが好みだったの。バラードは別として、それ以外はピアノが一切鳴ってないと思うんだ、このアルバム。
種:鳴ってないですね。
武部:でしょ?全部シンセで構築してる。僕が好きだった「お茶の間でダンス」はヤオヤみたいなドラムだった記憶があるんだけど…。
種:ヤオヤです!

-このアルバムだと、「チャンスをちょうだい」だけがアマチュア時代の曲で、もともとロックンロールっぽかったのを武部さんがアレンジされたんですよね。
種:このアレンジ、好きなんですよ。
武部:ドラムは青山純かな?あらゆるミュージシャンがスタジオで生き生きしてたよね、この時代は。みんな忙しかったけど、セッションが楽しくて、そういう雰囲気が音に詰まってるよね。
種:こんな新人相手によくやってくれたなって…。
武部:(笑)でも、みんなムキになってやってたじゃん!「難しいな、チクショー!」とか言いながら(笑)。

Chapter 6. スタジオ・ワークのポイント

-スタジオでは、種さんがやりたいことを武部さんが汲み取って、ミュージシャンに翻訳して伝える、みたいな感じだったんですか?
武部:種ちゃんもミュージシャンに対して言ってたと思うよ…「もっとこうして、ああして」とか。
種:徐々にですけどね。最初はどう言っていいか分かんなくて、武部さんに「こうなんだけど」って言って、それをミュージシャンに伝えてもらったことはあったと思うんですけど、3枚作って行くうちに、こういうふうに言えばいいんだって分かって来たりとか…。
武部:スタジオで音楽を作る時に、みんなが実力以上を発揮出来るような環境作りも僕らの仕事だから…プロデュース・ワークの大きなポイントじゃない?一番いい瞬間を切り取るっていうか。回数やったらよくなるものじゃないから…僕はテイクを重ねるのがあんまり好きじゃないのね。
種:それは私にものり移ってます(笑)!「絶対、これ以上やったら駄目!」って感じで。
武部:フレーズが手なりになったりするのがすごく嫌なの。その時々のフラッシュ・アイディアも大事にしたいから。
種:「もう一回やると絶対よくなると思う」って言われても、「いや、ならない!」って(笑)。

-武部さんが、種さんに「こういう時はこうした方がいいよ」とか教えているのを周囲のミュージシャンが見て、茶化してたというお話もあります。
武部:スタジオお作法(笑)。

-「いいテイクが出そうだったら、演奏の前にチューニングを確認してもらう」とか。
種:それは武部さんに言われたんですよ。せっかくテイクがよくても、チューニングが駄目でやり直すのはもったいないからって。
武部:いいこと言うじゃない!(笑)。今でも同じようなことを言ってるかも知れない…スタジオで最初に譜面を配って、1回合わせてディスカスして、3回目には「じゃあ、OKテイク録りまーす!」って臨むのね。

-ピリッとしますね。
武部:そうそう。それか、最初に集まった時に「今日は3回以上演奏させないよ」とか言うの(笑)。

-伝え方に関しても、こう言った方がミュージシャンにとっていいだろうっていうことまで武部さんから教わったとも聞きました。
武部:ミュージシャンってノせてナンボだからさ(笑)。自分もそうだけど、やっぱり気分的なものは絶対音に出るから。
種:そうですね。自分でプロデュースするようになってから「武部さんはどうやってただろう」とか「武部さんだったらどう言うだろう」って、いろいろ思い出して。
武部:そんな偉そうなもんじゃないよ、4歳しか違わないんだから(笑)。

-武部さんは、種さんは将来的に自分でプロデュースするようになるだろうと最初から考えていらっしゃったんですか?
武部:そういう素質を持ってたもんね、最初のデモテープの時から。アレンジ能力とか、楽曲の組み立てとか、そういう面から考えると、行く行くはセルフ・プロデュースするようになるだろうと思ったし、それが向いてるっていうか。

-『みんな愛のせいね。』に関する話題があまり出ないということは、1枚目と繋がってる感じなんですかね?
武部:そうだね。観音崎が嫌だったことしか覚えてないっていう(笑)。
種:私、それすら忘れてたけど(笑)。

Chapter 7. 『Che Che-Bye Bye』

-そして、3枚目の『Che Che-Bye Bye』です。
武部:これには特筆すべきところがあってね。
種:なんでしょう?
武部:シンセサイザーのオペレーターがそれまでは大竹(徹夫)くんだったのが、この時から浦田(恵司)さんにも参加してもらって、サンプリングが出来る当時最新の機材…フェアライトやシンクラヴィアを使ったんだよね。「サヨナラPlay Boy」も生リズムを録った後に、シンクラヴィアでブラスとかタムとかを入れたの。

-さらにエンジニアも代わったそうですね。
武部:梅津(達男)さんね。彼の存在は大きいね。助さんはリヴァーブが多いんだよね、どっちかって言うと。
種:梅津さんはあまり空間を埋めない…。
武部:楽器の定位とかで作って行くから、そこは圧倒的なサウンド・メイクの違いになっているかも知れない。

-時代も関係してるんでしょうか?
武部:多分、1枚目と2枚目の頃はまだナイアガラ・サウンド的な、リヴァーブ、バシッとかかります、スネアのチューニングもダッと低いです、みたいなのが流行だったんだけど、この頃には、スネアのピッチとかも高めが主流になって来てると思う。だから、リヴァーブも少なめになって行ったんだと思うな。

-いきなり具体的な話題になりましたが、このアルバムの後、種さんのセルフ・プロデュース期に移行するわけですけど、本作までを武部さんにお任せしたいということがあらかじめ決まった上でレコーディングに臨まれていたのでしょうか?
武部:山口さんの中ではそうだったのかもね。
種:3枚目までというのは山口さんからは言われてました。だから…。
武部:「我慢しろよ」って(笑)。
種:「今のうちにいろいろ盗んどけ」って(笑)。

-武部さんにはそのような意識はなかったんですか?
武部:そうは言われてなかった。

-どのタイミングで武部さんにお話があったんですか?「次から種さんが1人でやって行きます」っていうのは。
武部:僕以外のアレンジャーも入って来て、そういう形でいろいろ拡げて行くんだろうなとは思っていたし…。だけど、何作か一緒にやって行く上で生まれるものもあって、そういう意味ではこのアルバムがピークと言えるんじゃないかな。
種:この頃には、武部さんとも上手くコミュニケーションが取れるようになってて、「こういう曲を書いたら、きっと武部さんはこうするだろう」みたいなのが分かるようになって来て…いろいろ意識しながら作った記憶があるんですよね。

Chapter 8. 充実のレコーディング

武部:また生リズムが増えてるのかな…青山、美久月。「悲しき球技大会」はサイズの松浦(雅也)なんだね。で、「いついつまでも」が松本(晃彦)。「夏ハレ(夏・ハレーション)」は僕の大好きな世界なんだ。
種:すごく覚えてるのは、梅津さんがイントロのキックとスネアのディレイ・タイムを変えて、どの組み合わせが一番ノリがいいか、みたいなことを延々とやってたんですよね。毎回ダビングする度にタイミングを変えて、「これと前回とどっちがいい?」みたいな感じで(笑)。ミックスの最後の最後までやってましたよ。
武部:このディレイが曲のムードを決定づけてるもんね、歌詞の世界を。そういう実験がなされてるアルバムなんだな。細かいことで言えば、「サヨナラPlay Boy」の「Play Boy You’re Play Boy」のコーラスを全部定位を変えてレコーディングしようって僕が言ったんだよね…覚えてる?
種:覚えてます!どうしたら自然に聴こえるか…「Play Boy You’re Play Boy」って歌って、録音した素材を切るか、「Play」とか部分ごとに歌うか考えて…メッチャ時間がかかった気が(笑)。あと、個人的には「相合傘の香港」と「ねぼけてChina Town」をコーラスで繋いだじゃないですか?あれは「やった!」って思いましたね。
武部:最初から 2曲続けてレコーディングしたんだっけ?
種:そういうつもりで作ってたんで。
武部:このアルバムは語れるよ、結構(笑)。「タイムドライバーは仮免」は「10円でゴメンね」のアンサー的に、車の音のサンプルしてリズムに変えたりとか。「10円…」を聴いてた人がニヤッとするような作りにしたかったんだね。「相合傘の香港」のサビのシンセサイザーは、浦田さんが単純に白玉のパートを入れるんじゃ面白くないから…。
種:「風琴みたいなことをやれ」って。マニピュレーターが弾き方に指示を出すって…ビックリした(笑)。
武部:アイディアがいっぱい詰まってるよね。「謝々 Bye Bye」はパール兄弟の松永(俊弥)くんと窪田晴男なんだよね。でも、ベースだけバカボン(鈴木)じゃなくて有賀(啓雄)なんだよな。
種:なんでだろう?
武部:あくまでもピアノは入れてないね(笑)。レコーディングは、シンクラヴィアがあった四谷のテイクワンも使ったし、六本木のソニー、それから梅津さんが当時スタジオを持ってて、そこでミックスしたんじゃなかったっけ?
種:デルタスタジオ。こけら落としで安くしてもらったみたいなことを山口さんが言ってました。この時に(松本)大英くんがアシスタント・エンジニアだったんですよね。

-アルバムが完成した時には、みんなで大騒ぎしたそうですね。
種:ミックスが終わって、もう朝だったんですけど…。
武部:僕、いた?
種:いなかったです。
武部:なんでいなかったんだろう?
種:とにかく、みんなすごい高揚感で。飲みに行ったら梅津さんが酔っ払って、居酒屋からの帰り道で私と手をつないで踊ってた…「おかしいぞ?この感じ」とか言って(笑)。梅津さんって、そういう人じゃないじゃないですか?
武部:寡黙なタイプだもんね。
種:すっごく嬉しかったみたいで。
武部:音楽って不思議なものでさ、いいものが出来た時って、みんなそう思えるよね。
種:達成感ですね。3枚目が完成した時は、本当に「やったな!」って思いました。
武部:そんな感じだったね。

Chapter 9. 武部学校卒業、そして現在まで

-『Che Che-Bye Bye』というタイトルは武部さんへのメッセージだそうですが、気づいていらっしゃいました?
武部:いや、気づいてなかった(笑)。
種:「本当にありがとうございます。武部学校、卒業しました!」
武部:(笑)もっといっぱい一緒にやったような気がするけど、3枚なんだね。
種:1枚目と2枚目がすぐだったり、結構濃密だったんで(笑)。膨大な時間を一緒に過ごしたようにも思うんですけど…。
武部:実際、シンセサイザー1曲ダビングするのに、丸1日かかったりとかしたからね。

-物理的に長時間だったってことでしょうね。
武部:『Che Che…』が何年だっけ?

-1987年10月リリースです。
武部:それ以来、一緒に作ってないわけだもんね。
種:そういうことですね!
武部:でも、今も思うんだけど、あの頃と全く芸風は変わらないよね…自分も。無駄がなくなったとかはあるにしても、音楽の切り取り方みたいなものは変わらないよね。やっぱり、フレッシュなキラキラしたものを形にしたいといつも思ってるし。
種:そうそう、一回電話で話した時に、「ハナミズキ」の…。
武部:「アレンジがよかった」って言ってくれて(笑)。
種:すごくいいってずっと思ってて、それを武部さんに直接伝えられてよかったと思って。
武部:本当に嬉しかったよ、聴いててくれて。
種:これはやられた、と。

-武部さんは、その後の種さんの活動はチェックされてたんですか?
武部:うん。折に触れ、聴いたり、見たりしてたんだけど、なんだろうな…僕と一緒にやってた時よりも、アカデミックになったかな、と思った。
種:それはどういう…?。
武部:上質な感じっていうか。僕がやってた頃は、おもちゃ箱をひっくり返したような感じだったんだけど、もうちょっと絞れた感じになったような気がしたなあ。
種:あれもこれも、っていう足し算じゃなくて、引き算がちょっと出来るようになったっていうのはあるのかも知れないですけどね(笑)。

-個人的には、武部さんがご一緒されていた頃の方がサウンドに品があるような気もするんですけど(笑)?
武部:上品、下品で言うと、かなり下品な方だと思うけどな…そうでもないか(笑)。時代も関係してるかも知れないね。あの時代ならではの勢いとかスピード感とか…今聴くと、みんなテンポが速く感じるよね。
種:ああー。
武部:今だったらBPM4ぐらい落としてやってるかも知れない。
種:ライヴではそうなってますよ。
武部:でしょ?やっぱりね。キーも高いし、テンポも速いよね。そういうもんなんだろうな。

Chapter 10. 種ともことの仕事がなかったら、今の僕はない

武部:この間、冨田(恵一)と話したんだけど…。
種:はいはい。
武部:もともと種ちゃんのバンドでギター弾いてたから、そんな話をしてさ。だから、すごく優秀な人達が周りにいっぱいいたんだね。キャリアのある人だけじゃなくて、まだこれからの若手も含めて。

-種さんとご一緒されることになった1985年当時は、武部さんにとってはちょうど上り調子だった時期ですか?
武部:とにかく忙しかった。
種:でも、忙しいのが好きですよね?
武部:うん、好きだったよね。その頃、1年で250曲アレンジしてた。
種:マジですか?!あり得ない。
武部:1985~87年のどれかだと思うんだけど。アルバム20枚分か…確かにあり得ないね、今考えると。
種:スタジオでも、何時からどこの誰さんとミーティングとか、普通だったし。
武部:その時にいろいろ集中力が身についたよね。今も譜面書くのは速いし。その時期がなかったら、今の自分はないよ。でも、変な話だけど、一青窈と初めて会った時に、種ちゃんのイメージを重ねたの、僕は。同じように、ちょっと中性的だったり、彼女は台湾とのハーフだから、純粋な日本人とは違う、僕らが知らないような…日本の古い言葉を使ったり。そういう面で、イメージ的に種ちゃんを重ね合わせたところはある。だから、種ちゃんが「ハナミズキ」がよかった、って言ってくれたのは本当に嬉しかった。
種:なるほど。
武部:1曲だけアレンジするのとは違って、何作か一緒に取り組む相手には、自分の音楽を投影出来るかどうかっていうのはすごく大事なんだよね。
種:それはそうですよね。
武部:相手のオーダーだけじゃなくて、自分の音楽性が投影出来る…種ちゃんの場合は、それが出来たからすごく楽しかったんだけど、一青に会った時にもそれを感じたわけ。「彼女には自分の音楽を投影出来るな」って。だから、デモテープを作って、いろんなレコード会社を回ったんだけど、全部断られてさ。「今どき、こんなウェットな、オリエンタルな音楽は売れない」って言われて…当時はR&Bディーヴァ全盛で、なにが「もらい泣き」だ、みたいな感じなの。だけど、僕はやりたかったんだよね。そういう情緒的、映像的なものを。
種:そうだったんだ。

-種さんと一青窈さんに共通するものを感じた、っていうのはすごく興味深いですね。では、武部さんの中には、常に種さんが存在している…?
武部:そう。いるんだよ、これが(笑)。種ちゃんとの仕事がなかったら、今の僕はないよ。これまで僕がやって来た仕事の中で、ミュージシャン仲間から「あれ、よかったですよね!」「面白かったですね!」って言ってもらえるのって、種ちゃんのが多いのよ。
種:それは嬉しいですね。

-チャートの順位や売り上げ枚数とはまた違った影響力があったっていうことですね。
武部:だから、すごく音楽的なものだったんだと今あらためて思うね。

-それではお開きにしたいと思います。武部さん、お忙しいところありがとうございました。

代々木上原・ハーフトーンミュージックにて

武部聡志

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作・編曲家、音楽プロデューサー。
国立音楽大学在学時より、キーボーディスト、アレンジャーとして数多くのアーティストを手掛ける。
1983年より松任谷由実コンサートツアーの音楽監督を担当。一青窈、今井美樹、華原朋美、JUJU、ゆず、平井堅等のプロデュース、CX系ドラマ「BEACH BOYS」「西遊記」etcの音楽担当、CX系「MUSIC FAIR」「FNS歌謡祭」の音楽監督、スタジオジブリ作品「コクリコ坂から」の音楽担当等、多岐にわたり活躍している。

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30th Anniversary

デビュー30周年にあたって、種ともこからのメッセージ

種ともこ、この年末をもちましてデビュー30周年となります。
これってホントにワタシの音楽を聴いてくださる皆さまのおかげです。
まずはお礼を言わせてください。
ありがとうございます!
それから、ワタシが音楽を届ける作業に力を貸してくれた全てのミュージシャン、スタッフにもお礼を言わせてください。
ホントにお世話になりました&なってます。

死ぬまで音楽創っていたい。いい音楽を創っていたい。これが今の私の願いです。

あっという間の30年間でした。ってことは楽しい30年間でした。楽しい時間は早く過ぎますもの。

この30年を記念して、あれこれ楽しい企画を考えております。
皆さまのお財布を休ませません!
楽しみにしていてね。覚悟していてね。

2015.12.19
種ともこ

種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー 番外編

vol.9でエンディングを迎えた本編に続きまして、2016年11月から2017年1月にかけて本サイトを通じてファンのみなさんからお寄せいただいたご質問に種ともこがお答えするアンコール企画。
たくさんのご質問、感謝しております。その中から種ともこがすべて目を通した上で厳選し、真剣に返答させていただきました(ご紹介できなかったみなさん、ごめんなさい)。
どうぞごゆっくりお楽しみ下さい。


ロング・インタビューはこちらから


種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー vol.9

「恋愛三部作」―制作を中断しながら東日本大震災をきっかけに完成に至った第1弾『Uh Baby Baby』(2011年)、突き抜けた開放感の中に緊張感をあわせ持つ第2弾『True Love Songs』(2013年)、完結編にして種ともこポップスの金字塔『Love Song Remains The Same』(2015年)―を中心に、全編ピアノと歌のみによる「恋愛三部作」のスピンオフ『家のピアノ』(2014年)など、自身が「波乱二万丈」と語った2010年から2015年を大いに語っています。さらには、種ともこがこれまでに参加して来たコンピレーション作品にも触れてみました。
ついにエンディングを迎えるロング・インタビュー、「最高で感動の」最終回となりますでしょうか。最後までごゆっくりお楽しみ下さい。
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ロング・インタビューはこちらから


種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー 特別編 vol.3

特別編の最終回として、映画監督の周防正行氏との対談を掲載いたします。種ともこがエンディング曲「遠く、そして近く」の作詞と歌唱を手がけた『終の信託』(2012年)、同じく作詞、歌唱指導、京都弁指導を担当した『舞妓はレディ』(2014年)を中心に、リーダーシップ論や変化を続けることの大切さなど、熱く、深く語り合っています。
映画と音楽―フィールドは異なれど、お互いに対するリスペクトが感じられる、特別編の最終回に相応しい濃密な対談になりました。
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対談はこちらから


種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー vol.8

少数精鋭でシンプルな世界を追求した『カナリヤ』、フレッシュでバラエティ豊かな『おひさま』という意欲作をリリースするもレーベルが倒産。完全自主制作に移行して、ソニー以降の名作選『カナリヤとおひさまとそれから』と実験精神あふれる童謡カヴァー・アルバム『雪月花』をリリースした2005年から2009年を中心に、デビュー20周年記念セルフ・カヴァー・アルバム『ウタイツガレルウタ』や新たな層にアピールしたアニメ『ガサラキ』『トリニティ・ブラッド』のテーマ曲、映像と音楽のコラボレーションによるライヴ・シリーズ『VISION & PIANO』についても語っております。
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ロング・インタビューはこちらから


種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー vol.7

『Locked in Heaven』(1997年)を最後に、ソニー・ミュージックとの契約が終了し、自主的に活動して行くことを決意した種ともこ。
第二子の妊娠中に企画が浮上、初めて他人が書き下ろした楽曲を歌った新境地『hetero』(1999年)、アーティスト廃業の危機から一転、種ともこ流ポップスの王道を追求した初インディーズ作『in』『out』(2003年)、紆余曲折の末に制作の主導権を勝ち取ったソニー時代の集大成『GOLDEN☆BEST 11YEAR’S WORKS』(2003年)について語っております。
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種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー 特別編 vol.2

特別編として、1991年のアルバム『KISS OF LIFE』から『Locked In Heaven』、さらにデビュー20周年にとして2006年にリリースされた『ウタイツガレルウタ』にディレクター、プロデューサーとして関わられた河合誠一マイケルさんとの対談を掲載致します。
アーティストとスタッフという関係を超えた自然な繋がりが感じられる、絶妙な二人のやり取りをどうぞお楽しみ下さい。
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種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー vol.6

『種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー』第6回をアップ致します。
1995年にデビュー10年目を迎えた種ともこ。同年に新曲をライヴ・レコーディングした『感傷』、さらに1997年にはポップかつアグレッシヴな新局面を示した『Locked in Heaven』をリリースするなど、相変わらず精力的な活動を展開する一方で、同作を最後にデビュー以来所属して来たソニー・ミュージックを離れることになります。
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種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー vol.5

『種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー』第5回をアップ致します。
アルバム『音楽』(1990年)でさらなる到達点に達すると同時に、新たな制作環境の模索やスタッフの交代など、節目を迎えた種ともこ。
1991年、完全セルフ・プロデュースで制作された『KISS OF LIFE』、1993年、最新機材の導入により実現したホーム&スタジオ・レコーディングの充実作『Mighty Love』、そしてポップで粒ぞろいな楽曲が詰まった1994年の『HARVEST』が今回のテーマとなります。
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種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー vol.4

『種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー』第四回をアップ致します。
1985年12月にCBSソニー(当時)からデビューし、武部聡志さんプロデュースのもと、3枚のアルバムを制作。
そしてコンピレーション・アルバム『ベクトルのかなたで待ってて』を挟んで、ついに激動のセルフ・プロデュース期へと突入します。今回はその初期3作品『O・HA・YO』『うれしいひとこと』『音楽』に焦点を当てて、ざっくばらんに語っております。
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種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー 特別編

ご好評頂いております『種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー』、幼少期に始まり、CBSソニーからのデビューを経て、アルバム『Che Che-Bye Bye』の完成までたどり着きました。
今回は特別編として、デビュー・シングル「You’re The One」から3作目となる『Che Che…』までのプロデュース/アレンジを担当された武部聡志さんにお忙しい中お時間をいただき行いました対談を掲載致します。


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種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー vol.3

『種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー』第三回をアップ致します。
1985年12月21日、シングル「You’re The One」でCBSソニー(当時)からめでたくデビュー!
アーティストとアレンジャーという立場を超えた実り多い師弟関係を築くことになった武部聡志さんとのコラボレーションが冴えわたる初期の三作『いっしょに、ねっ。』『みんな愛のせいね。』『Che Che-Bye Bye』(+『ベクトルのかなたで待ってて』)に焦点を当てて、今回もざっくばらんに語っております。
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種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー vol.2

先月からスタートしました『種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー』第二回をアップ致します。
今回は同志社大学入学後からデビュー直前まで、”アーティスト”種ともこにとって重要と思われる時代についてざっくばらんに語っております。
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種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー vol.1

種ともこ、祝・デビュー30周年!…ということで、アニバーサリー・イヤーの2016年12月まで、約1年にわたって、スペシャル・インタビューを掲載致します。
アーティスト活動はもちろん、生い立ちから音楽との出会い、学生生活、デビューへの道のり…などなど、当時の写真も交えて、ざっくばらんに種ともこのこれまでを振り返ってお送りする予定です。
vol.1では、種家のルーツに始まり、大学受験までを語っております。
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種ともこ 30thイヤー!スターティング・イベント ~ 30年いっしょに、ねっ!

種ともこデビュー30周年を記念した、秘蔵写真などの展示、映像上映、トークショーなどの、30周年イヤー!スターティングイベント「種ともこCafe」及び「種ともこ記念トークショー&チャリティーオークション」を、3/31(木)から4/2(土)の期間内で、駒沢大学駅徒歩1分にあるイベントスペース<エムズ・カンティーナ>にて開催いたします。是非!この機会にあなたが知らなかった種ともこに逢いに来てください。皆様のお越しをお待ちしております。
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『Love Song Remains The Same』ハイレゾ音楽配信開始

昨年10/21に発売されました種ともこの最新作『Love Song Remains The Same』のハイレゾ音楽配信(96kHz/24bit)が始まりました。種ともこが打ち立てた”金字塔”を高音質でお楽しみになりたい方は各ハイレゾ配信サイトへGO!

主なハイレゾ配信サイト
mora
e-onkyo music
VICTOR STUDIO HD-Music
OTOTOY
groovers


『Love Song Remains The Same』ハイレゾ音楽配信記念 座談会

2015年10月発売の種ともこの最新アルバム『Love Song Remains The Same』のハイレゾ音楽配信(96kHz/24bit)が1月27日から始まりました。
デビュー30周年イヤー企画の第一弾、さらにキャリア初となるハイレゾ配信を記念して、種ともこ本人と同作品をともに作り上げた共同プロデューサーの菅原弘明、ミキシング・エンジニアの松本大英両氏がCDとハイレゾ音源とを聴き比べながら行った座談会の模様をここに掲載致します。
座談会の記事はこちら


《種ともこ デビュー30周年企画第1弾》
『Love Song Remains The Same』高音質音楽配信(ハイレゾ音楽配信)決定!!

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2015年10月21日に発売されたばかりの”恋愛三部作”完結編『Love Song Remains The Same』。種ともこ本人が「金字塔」と断言する絶対的自信作の(ハイレゾ音楽配信)(24bit/96kHz。通常CDは16bit/44.1kHz)が決定しました!

配信開始日は2016年1月27日の予定。配信サイト等の詳細は追ってお知らせ致します。どうぞご期待下さい。


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