種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー vol.9
『種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー』第9回をアップ致します。
「恋愛三部作」―制作を中断しながら東日本大震災をきっかけに完成に至った第1弾『Uh Baby Baby』(2011年)、突き抜けた開放感の中に緊張感をあわせ持つ第2弾『True Love Songs』(2013年)、完結編にして種ともこポップスの金字塔『Love Song Remains The Same』(2015年)―を中心に、全編ピアノと歌のみによる「恋愛三部作」のスピンオフ『家のピアノ』(2014年)など、自身が「波乱二万丈」と語った2010年から2015年を大いに語っています。さらには、種ともこがこれまでに参加して来たコンピレーション作品にも触れてみました。
ついにエンディングを迎えるロング・インタビュー、「最高で感動の」最終回となりますでしょうか。最後までごゆっくりお楽しみ下さい。
構成:種ともこスタッフ
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Chapter 1. 数々のコンピレーション(『Summer Lounge』『はっぴいえんどに捧ぐ』『春の歌 Sisters Sing Spring』『Together and Forever〜a Tribute to Kenji Sazanami〜』)
―種さんはこれまでに多くのコンピレーションに参加されていますが、今回はその何作かについてお話をうかがいたいと思います。まずは1987年の『Summer Lounge』。タイトルの通り夏をテーマにした楽曲ぞろいで、後に『ベクトルのかなたで待ってて』(1988年)に収録される「キュウリ de Vacation」が初登場しています。
種:タイトルだけ聞くと「何のこと?」って感じだと思うんですけど、お盆の歌です。この時にナイアガラ関係の人達と初めてお会いしました。杉真理さんはじめ参加アーティストによる「Holiday Company」っていう曲ではPVも撮りました。「みんなでバカやろう!」って寸劇をやって、私はOL役で上司の南佳孝さんに辞表を出したの(笑)。あと、須藤薫さんの「安来節」にはビックリしたなあ。
―続いて、1993年の『はっぴいえんどに捧ぐ』は後に拡張盤が発売(2010年)されたりと、人気、評価ともに高かった印象があります。種さんははっぴいえんどをどの程度認知されていたのですか?
種:アマチュアの頃はほとんど邦楽を聴いていなかったので後から聴きました。まわりからは「はっぴいえんどのトリビュートに参加出来るなんて光栄だね」って言われたんだけど、その意味がよく分からなくて…でも、音源を聴いたらやっぱりスゴいと思いましたね。
―「しんしんしん」を選んだ理由は?
種:本当にやりたかった曲は先に取られてしまって…でも、「しんしんしん」もすごくいいなあ、と思ってたんです。オリジナルはフォーキーですけど、雪が持つ暴力性を出したかったので、エッジが効いたサウンドにしました。スタジオにいらっしゃった松本隆さんから直々にお褒めの言葉をいただきましたし、自分でもすごく気に入ってます。
―次は『春の歌 Sisters Sing Spring』(1995年)。『Summer Lounge』に続いて、今回は春をテーマに。参加しているのは女性アーティストばかりですね。
種:「ガール・ポップ」っていう言葉が出て来た頃だと思うんだけど、私としてはそのカテゴリーには正直入れて欲しくなかった。
―「おぼろ月夜」を選んだ理由は?
種:歌詞が素晴らしいと思って。アレンジはレゲエっぽくなってますけど、曲の中にレゲエを感じたんですよね。
―「しんしんしん」と同じく保刈久明さんが参加されていますね。同年の『感傷』と続く『Locked in Heaven』(1997年)には他のエンジニアが参加しているので、この曲がジュリアン(ウィートリー)さんとの最後の仕事になるのでしょうか?
種:そうですね。私が打ち込んでジュリアンがミックスした集大成ぐらいのタイミングです。
―そしてアメリカン・ポップスを中心に数多くの訳詞を担当された漣健児さん(シンコーミュージック・エンタテイメント元会長の草野昌一さん)のトリビュート・アルバム『Together and Forever〜a Tribute to Kenji Sazanami〜』(2004年)です。
種:当時、入院されて、意気消沈していた草野さんを慰めようと財津和夫さんが中心となって企画して、シンコーミュージックと関わりのあるアーティストが集まったんですよ。
―財津さんやチューリップのメンバーの他に甲斐よしひろさん、プリンセスプリンセスのメンバー、斉藤和義さんからあべ静江さん、長谷川きよしさん、さとう宗之さん…バラエティに富んだ方々が参加されていますね。「ロリーポップ・リップス」を選ばれた理由は?
種:とにかく歌詞がバカ可愛くて…カヴァーも自然と「バカ可愛い」がテーマになりました。アメリカン・ポップスのカヴァーは初めてだったからすごく楽しかった。
―草野さんは本作が発売された翌年に亡くなられています。
種:すごく喜んでくれて、お礼の手紙をいただきました。草野さんの鶴の一声でシンコーに所属することになってデビュー出来たから、そういう意味では私を拾ってくれた恩人でしたね。亡くなられたのは本当に残念でしたけど、最後に歌で感謝の気持ちを伝えることが出来てよかったと思ってます。
Chapter 2. 『Uh Baby Baby』―どん底から復活して完成させた渾身の傑作
―そして、ついに「恋愛三部作」…まず第1弾の『Uh Baby Baby』(2011年)からうかがいます。このアルバムで現在に至るスタッフィングがほぼ固まったわけですね。
種:前作の『雪月花』(2009年)でトータル・プロデュースをして、次は誰かと全面的に組みたいと考えた時に、『おひさま』(2007年)からギターを弾いてくれてた菅原弘明さんがいいな、と思ったんです。彼がプロデュースした鈴木祥子ちゃんの『Hourglass』(1991年)っていうアルバムがすごく好きだったし。だから、今回はギターだけじゃなくて、プロデューサーとしても関わって欲しいとお願いしたところ、快く引き受けてくれました。早速「ギターでも曲を作りたい」って相談したら、オープン・チューニングを教えてくれて、「これはいい!」ってすぐに曲が出来ちゃったんですよ。
―例えばどの曲ですか?
種:「光る水」と「風の歌」。その頃は、個人的にも恋をしててノリノリでした。極端ですけど、私にとってこのアルバムのリスナーは1人だけ、ってぐらいの気持ちで作ってたんですよ。でも失恋してしまって…。
―どのタイミングだったんですか?
種:オケのレコーディングを終えた頃。歌詞も出来てて、あとは歌入れを残すのみだったんだけど、そこで地の底まで落ちてしまった。菅原さんには「もう発売しない」って電話して…聴いて欲しい人に聴いてもらえないなら作る意味がないから。菅原さんは「やろうよ!」って言ってくれたんだけど、精神的にどん底状態でその後1年以上も制作を中断しちゃったんです。本当はこんな話したくないんだけど…。
―「かわいそうだと思ってね」みたいに別れを彷彿させたり、妙に達観した雰囲気の曲もありますけど、楽曲自体はすべて恋愛中に書かれたものなんですよね?
種:そうです。恋をしてる時だって、いつも薔薇色っていうわけじゃなくて、いろんな局面があるじゃないですか。それに、すべての曲が実体験に基づいてるわけじゃないですよ。ただ、その人だけに聴いて欲しい、と思いながら作ってたっていうことなんです。
―でも、内容はすごく普遍的ですよね。
種:菅原さんにも「そういうつもりで作ったのかも知れないけど、誰が聴いてもいいと思ってもらえる内容だから」って言われたんだけど、私としてはとてもじゃないけど出せないと思ってた。レコーディング中断後はずっと家で沈んでました。子供の晩ご飯を作るのでせいいっぱい…みたいな毎日で。
―相当痛い失恋だったんですね…。そんな状態から持ち直して、アルバムを完成させようと決心したきっかけは何だったのでしょうか?
種:東日本大震災の影響がものすごく大きいですね。実は、2011年の3月11日は菅原さんから呼び出されてたんですよ。彼としても、このプロジェクトに決着をつけるラスト・チャンスぐらいに考えてたはずなんだけど、待ち合せ場所に向かう途中で地震が起きて、ミーティングどころじゃなくなった。少し時間が経って落ち着いたら、大事な人や大事なものを失った人がこんなにたくさんいるんだ、っていうことを目の当たりにして。失恋という形で私も同じ経験をしたから、「その気持ちはよく分かります」みたいに感じちゃったんですよ。「これは何とかしなければ!」って、いても立ってもいられなくなって…。
―まずは「笑ってて」のチャリティー配信を始めようと。
種:震災の5日後に「とにかくこの曲の歌入れをしたい」ってエンジニアの松本大英くんに連絡しました。音楽に携わる人間として自分は何も出来ない、って彼も感じてたらしくて、こういうことに関われてすごくよかった、って言ってくれて。レコーディング中、歌いながら気持ちがたかぶって涙が出そうになって、ふとコントロール・ルームを見たら、大英くんもアシスタントも泣きそうな顔してて…みんな感動してくれてたみたい。
―同時に自分も役に立てたんだっていう思いが…。
種:そういう気持ちもあったからか、すごく不思議な空気になって。菅原さんはスケジュールが合わなかったので、「時間がないからこっちでやらせてね」って了承を得て、ゲントウキの田中潤くんにキーボードをダビングしてもらいました。完成してすぐ、流通会社に事情を説明して「大急ぎで配信したい!」って頼み込んだら、担当者が「そういうことなら頑張ります」って…その時点で3月後半だったのに、みんなすごく頑張ってくれて、4月13日に配信がスタート出来たんです。同時にチャリティー・ライヴも始めたいと思って、ストロボカフェのスタッフとミーティングをして、5月12日に第1回目の『種からつなげよう〜笑ってて〜』を行いました(以降、隔月で開催。2016年3月11日まで計30回続いた)。その頃に、もう一度仕切り直しで「やっぱりアルバムを出したい」って菅原さんにお願いして、「じゃあ、やろう!」ということでレコーディングを再開したんです。
―紆余曲折を経て完成した時にはどのように感じましたか?
種:新しい扉を開けた感覚がありましたね。プリプロ音源が届くたびに、菅原さんと組んで本当によかった、って思いました。もちろん「これじゃない!」って却下したこともありましたけど、それも含めてすごくいい仕事をしている実感が持てましたね。正直、ここから先の3枚に関しては、どの曲が好きとか、個別に語れないところもあります。
―そんな中でも特に印象に残っている曲は?
種:「すべて!」と言いたいとこだけど、「スキ!」はもうそのまんまの超直球だし、やっぱりスキ!
―結果的に、当初の予定とはタイミングも作品の意味合いも変わることになったわけですけど、今はどのようにお考えですか?
種:いちばん届けたい人が、恋人から大切なものを失くした人達にシフトした…失恋と震災のせいで。そのために苦しんだり、悲しくなったりしたけど、「どんなことがあっても歌は残る」ってことを学びました。この経験が「恋愛三部作」完結編のタイトル(『Love Song Remains The Same』)にもつながっています。本当にリリースしてよかったと思いますね。
―ジャケットについてもお聞きしたいんですけど…。
種:写真はここで撮ったんですよ。
―ご自宅で?
種:はい。「スキ!」のPVもここで撮りました。
―ブックレットには人形や小物がたくさん登場して、これも『Love Song Remains The Same』(2015年)とつながりますね。デザイナーの外間隆史さんのアイディアですか?
種:そうです。
―オビのキャッチコピーも外間さんによるものとお聞きしましたが?
種:丸投げしました(笑)。
―コンセプチュアルな面でも重要な役割を担われているということですね。外間さんには全曲完成した時点で音源を渡してデザインに取りかかっていただいたのでしょうか?
種:デモの段階からお渡ししてましたね。だから、完成に至るまでの変遷がよく分かっている。
―種さんがどん底から這い上がって来るところも…。
種:見てます(笑)。泣きながら電話した時もあったし。
―外間さんが手がけるヴィジュアルって、毒と言うか、どこか狂気のようなものが感じられます。
種:一貫した魅力がありますよね。
Chapter 3. やっぱりライヴが好きなんですよ
―2011年12月4日には横須賀のYounger Than Yesterdayでデビュー25周年記念ライヴが行われています。
種:momentの寺澤(祐貴)さんから「25周年記念に何かやりましょう!」って言われて。ちょうどその頃にトランスパランスとライヴで対バンしたんだけど、これはいいなと思って「いっしょにやらない?」って誘ったんです。後になって「たった1回対バンした相手によくこれだけ丸投げしますね」って言われたけど(笑)。
―それぐらいインパクトが強かったということですね。
種:結局、コーラス・アレンジもやってもらって。全アルバムから必ず1曲はやる構成だったので本当に大変でした。
―トランスパランスを交えた編成はその1回だけですか?
種:そうですね。本当に彼女達のおかげです。
―『Uh Baby…』に関しては、リリース・ツアーに加えて、翌2012年にも再びツアーが行われています。
種:アルバムが好評だったので、いろんなところに行きたいと思ったんですよ。1人で各地を回り始めたのはこの時からですね。
―1回のツアーで弾き語りとバンド編成に趣向を分けて。
種:「1人で回ってみたら?」って言われて、最初は「エーッ?!」って思ったんだけど、すごく楽しかったし、鍛えられました。演奏だけじゃなくて、物販とか移動まで1人でやるのは初めてだったので。でも、このタイミングで始められたのはよかったと思っています。単純に旅は楽しいですし。
―2012年のツアーは3ヶ月にわたっています。
種:飛び飛びですけどね。そんなにたくさん回るのも初めてだったんで、「大丈夫かな?」と思ったんですけど。
―ご家族と離ればなれですもんね。
種:最初は大変でしたよ。食事を作り置きして、ボランティアのヘルパーさんを頼んだりして。朝6時半にモーニングコールして、前日の出来事を聞いたりとかね。いろんな人に助けられましたし、子供達も逞しくなりました。
―切り替えが大変ですね。
種:でも、やっぱりライヴが好きなんですよ。だから、一旦ステージに上がったらすっかり子供のことなんか忘れちゃった、みたいになっちゃうんですけど(笑)。
Chapter 4. 『True Love Songs』―開放感と緊張感をあわせ持つ充実作
―次は「恋愛三部作」2作目の『True Love Songs』(2013年)。曲作りにはいつ頃から取りかかられたんですか?
種:『Uh Baby…』が完成してすぐ。菅原さんとは『Uh Baby…』はすごくよかった、って話してたし、曲もすごい勢いで出来ていたので、「とにかく続編を作ろう」っていうことで。「恋の歌をもっと歌いたい」っていう気持ちにあふれてましたね。
―菅原さんは曲作りの段階から関わられていたのですか?
種:そうですね。アルバム全体を見て、次はこういう曲を書いて欲しい、って提案してくれたりとか。菅原さんはとにかく仕事が速いんですよ。デモを送ると、打ち込みを入れた形ですぐに返って来る。だから毎回レコーディングの時には完成形が99%見えてますね。
―『Uh Baby…』の方向を推し進めて、より開放感が感じられる仕上がりになっていると思います。
種:そうですね。制作段階からものすごくいいものになるっていう実感がひしひしとありました。
―「天才・種ともこがニッポンに問う」(オビのキャッチコピー)ですから。
種:それは外間くんが考えたんですよ(笑)。私じゃないからね。
―その外間さんが今回もデザインを担当されています。
種:彼が勝手に「恋愛三部作」っていうキャッチを入れたんですよ。こっちは「もう1枚あるの?!」みたいな(笑)。「次もやるべきでしょ」って当たり前のように言われて。外間くんもすごくいいアルバムだと思ってくれたんですよ。
―さっき言った開放感というのは、ジャケットの印象も大きいと思います。青空と草原をバックに種さんが大胆不敵に立っている。この写真はどこで撮影されたんですか?
種:調布の公園です。近くに飛行場があって建物があまりないんですよ。
―「ぎゅっ!」と「Life is Beautiful」の冒頭2曲の流れはみずみずしくて、インパクトがありますね。
種:「Life is Beautiful」は震災後、すぐに作ったんです。街があっという間に流されてしまったり、かけがえのないものを根こそぎ破壊されても、「人生は美しい」と思える瞬間が必ずやって来る…そう信じたいっていう、願いみたいなものを曲にしました。赤い靴に参加してもらった「何だっけ?」もすごくよかった。チャリティー・ライヴ『種からつなげよう』での対バンをきっかけにアレンジをお願いしたいんですよ。
―「さよなら原発」は福島第一原発の事故に影響されて書かれたんですよね?
種:もちろんそうです。原発事故に関するニュースを見ていたら勝手に出来てしまった。
―原発に対する違和感は以前からお持ちだったんですか?
種:もちろん。ただ、それまでは曖昧でよく理解出来ないことが多かったんですけど、あの事故で如実に分かったのは、人間は弱い生き物なんだ、っていうことなんです。不完全なものを完全だって言い張ってたわけじゃないですか。それに関する嘘があの事故であらわになった。だから、私達ももっと知らなきゃいけないし、分からないまま放置していたという意味では、実は自分も悪かったんだ、って思って、それがすごく言いたかった。以前、ある知人が「原発って原爆と同じなのに、大丈夫だろうって思っていた俺がいけなかったんだ!」って言ってて。もちろん、彼だけが悪いわけじゃなくて、「大丈夫だって言われてるから大丈夫」ってみんな思い込んじゃってた。だけど、人間に完全とか絶対は存在しないってあらためて分かったんだから、それを前提にしないとこれからも大変な間違いを犯してしまう。本当に、その時に思っていたことがそのまま曲になったんです。
―何か反響はありましたか?
種:いろいろありました。「ああ、種ともこも薄っぺらい左翼なんだね」とか「政治的な発言を音楽に持ち込むな」みたいな否定的な意見から「心に刺さった」っていう肯定的な意見まで、さまざまでしたね。
―そういった東日本大震災の影響が色濃く出た楽曲も収められていますが、アルバム全体を振り返ってみて今はどのように感じていますか?
種:震災のこととは別に、まずはラヴ・ソングというくくりで自分が出来ることはすべてやろう、と心に決めてました。それは達成されたと感じてるし、「秘密のスイッチ」みたいな際どい曲や「好きだ」みたいな原理主義的な曲が作れて嬉しかったです。
Chapter 5. 『家のピアノ』―ライヴの人気曲と新曲を力強く繊細に弾き語り
―続いて「恋愛三部作」の2.5作目、『家のピアノ』(2014年)です。突然リリースされた印象ですが、制作されたいきさつは?
種:すごく下世話な話をしてしまうと、秋からのツアーに向けて新しい物販を作らなきゃ、っていう話になりまして…それが1番大きなきっかけです。実はその頃、体調を崩してしまって、新作の曲作りも始めてたんだけど、すべての作業を一旦中断せざるを得なくなったんです。レコーディングしなきゃ、とずっと思いながらもなかなか回復しなくて。でも、夏にボーイスカウトのキャンプにリーダーとして参加したら、いきなり治っちゃったんですよ。結構キツいキャンプだったんだけど、そういうことがあると身体が元気になっちゃうのかも。あと、自然の中にいたのも大きいかも知れない。とにかく、キャンプで晩ご飯を作りながら「スタジオを押さえて下さい!」ってスタッフに電話して。そしたら、たまたまスタジオとエンジニアと菅原さんの予定が空いてたの。それで1日でレコーディングからミックスまで終わらせて、さらに外間くんには4日間ぐらい徹夜してもらい(笑)…私が全員を振り回しちゃった。
―その勢いが凝縮されているわけですね。
種:ツアー初日の9月6日に間に合わせるのに必死でした。スタッフも「タイトルはどうするの?」とか「写真なんて撮ってる暇ないよ!」みたいに一刻を争う感じで。
―前回のツアーから弾き語りのパフォーマンスを始めて、このタイミングで形にしておいてもいいな、という気持ちもあったんですか?
種:1人でやってると、どんどんアレンジが変わって行くんですよ。なので、この時点の記録として聴いて欲しいと思って、ライヴでよく演奏していた楽曲を入れたのと、「恋愛三部作」の完結編となる次作の予告にしたいとも考えていたので、新曲「Still in love with you」も加えました。スタジオの時間から考えて、当初は4曲の予定だったんですけど、最後の最後に「Be my friend」も録音して5曲になりました。
―「Be my friend」が収録されているのは『家のピアノ』だけでしたっけ?
種:そうなんですよ。
―今回もデザインは外間さん。
種:「これはピアノのお刺身だ!」(オビのキャッチコピー)って何なんだよ(笑)!
―イラストのモデルはもちろん種さんですよね?
種:もとになった写真ではちゃんと服を着てますけどね(笑)。「恋愛三部作」のブルー系とは違った色調にしよう、っていうことで赤をベースにしました。
―『家のピアノ』というタイトルはどのように思いついたんですか?
種:レコーディング中に「今タイトル決めないと間に合わないよ」って言われて、菅原さんも交えていくつか出た中で即決でした。「語呂がいいね」っていうことで。
Chapter 6. 『Love Song Remains The Same』―「恋愛三部作」完結編にして種ともこポップスの金字塔
―そして『Love Song Remains The Same』(2015年)、「恋愛三部作」の完結編です。タイトル曲で静かに始まる感じは『Uh Baby…』に通じるものがありますね。
種:(『Uh Baby…』1曲目の「Many More Joys」と)同じ曲です。
―え!そうなんですか?
種:うん。みんな気がつかないんですよ。
―僕も気づかなかったです(笑)。
種:続けて聴けば分かりますよ。『Uh Baby…』は超ハッピーなんですけど、こっちはちょっと悲しい歌詞なんです。
―間髪入れずに始まる「三日月」は名曲ですね!
種:ありがとうございます。「恋愛三部作」をどう締めくくるか…最初に書いてた曲はわりとバラードが多めだったので、しみじみした終わり方もいいかな、と菅原さんは思ってたらしいんだけど、私が「三日月」を出したところで「やっぱり攻めの姿勢で行こう!」って決めたそうです。とにかくアレンジがすごくて、作ってる時から2人で「金字塔だ!」って盛り上がってました。
―「Two of us」もすごくいいアレンジですね。
種:神がかってますよ!もう素晴らし過ぎて笑っちゃった。
―全体的に素晴らしいんですけど、菅原さんのギター・ソロが出色ですね。胸の奥を掻きむしるような…何とも表現のしようがない感情に訴えかけて来ます。「Still in love with you」もアレンジと曲の並びによって『家のピアノ』とはまったく違った印象を受けますね。國府田マリ子さんに提供した「引越通知なし」のセルフ・カヴァーはこのメンバーでやってみたかったという思いからですか?
種:とても思い入れがあって、自分なりに表現してみたい曲の1つだったんです。もとのアレンジを聴いてもらった上で「ちょっと変えたい」って菅原さんに言ったら、こんなすごくなって…「何だこれは!」みたいな感じでした(笑)。
―「Onkalo」はサウンド的にはもうプログレですよね。
種:ですね(笑)!
―本作ではこのような実験的な側面も…。
種:ありますね。「愛と恋のためにココロはある」は最初からアルバムのラスト用に書いたんですけど、最後の最後でフェイザーでグチャグチャになって終わるじゃないですか。菅原さんに「何でこうしたの?!」って聞いたら、「いやあ、恋は最後はグチャグチャになるんだよ」だって(笑)。「なるほど〜」なんて納得したりして。
―素晴らしいまま終わる恋愛ももちろんあるけど、その方が種さんらしい、と。
種:それにしてもグチャグチャって(笑)。あと、気づいた人もいると思うけど、「恋愛三部作」完結編の締めくくりということで、「愛と恋のために…」では歌詞にもちょっと遊び心を加えてみました。
―「Onkalo」に戻りますが、どのようなきっかけで作られたのでしょうか?
種:『100,000年後の安全』(2009年デンマーク・フィンランド・スウェーデン・イタリア合作/2011年日本公開)っていう映画を観て、1つの企業が10万年という時間をコントロールしようとしているという現実は何て恐ろしいんだろう、って思ったんですよ。「さよなら原発」の時にも言いましたけど、絶対とか完全なんてあり得ないのに、さらに10万年って…遡ったらネアンデルタール人の時代なんですよ。そんなタイム・スパンで後始末しようと考えている人達がいるっていうのがすごく恐ろしいし、あり得ないっていうことですね。
―その恐怖感をサウンドが表現している。
種:聴いた後、夜トイレに行けなかった、って言ってた方もいらっしゃいましたね(笑)。
―赤い靴とのコラボ「秘密を守れる人」も熟成感があります。このアルバムは「恋愛三部作」の締めとして納得行くものが出来たということでしょうか?
種:そうですね。
―「最高で感動の完結編」ってオビにもありますもんね。ジャケットもインパクト十分です。
種:外間くんによると「種ともこの頭の中」というコンセプトだそうです(笑)。とにかく頭を目立たせよう、ということで、いろいろなもので飾りました。
―そしてこの後にレコ発ツアーを挟んで、2015年12月21日からはデビュー30周年イヤーに突入して行くわけですね。
Chapter 7. 最後に…
―生い立ちから2015年まで、長時間にわたって種さんご自身に語り尽くしていただいたわけですが、デビュー30周年イヤーを突っ走って来た今、種さんの気持ちはもう次に向かっているんですよね?現時点で可能な限りお話しいただけますでしょうか。
種:次の作品ではちょっと違ったアプローチを考えてます。菅原さんと話し始めたタイミングで、30周年記念アルバム『DAILY BREAD』用に新曲を作ることになって…実は「そこんとこよろしくね」の他にも2曲作ってたんですよ。その2曲はファンのみなさんへのメッセージっていうテーマとはかけ離れた内容だったんですけど、菅原さんが「すごくいい!」って言ってくれたんです。それで方向性が定まりましたね。で、もうプリプロも終わって、アルバムの全体像が具体的に見えて来たところです。
―新しい種ともこ像を提示する作品になると。
種:こういうこと言っちゃいけないのかも知れないけど、「恋愛三部作」では「ポップ」を念頭に置いてたんですけど、次はぜんぜんそうじゃないんです。テーマは「少女Aの修業時代」。
―「少女A」とは種さん自身のことですか?
種:そう。これから大人になって行く女の子の心の奥、みたいなコンセプトです。
―とりあえず、それぐらいに止めておきましょうか。あとはみなさんのご想像にお任せして。
種:これじゃあ、まだ何のことか分かりませんよね(笑)。
―では、最後にロング・インタビューを読んでいただいたみなさんにメッセージを。
種:こんなに自分について話す機会なんて普通ないじゃないですか…それも一気に。だからとても新鮮でした。私は過去を振り返らない人間だし、定期的に昔のことを思い出したりしないので、すぐにいろんなことを忘れてしまいます。曖昧な自分の記憶ではこうなってるんだけど、多分「嘘つけ!」と思ってる人が何人かいるんじゃないかなあ…その場合はすみません。
―お話をうかがっていると、いいことも悪いことも、しっかり種さんの創作の糧になっているように感じます。
種:そうかもね。感情が激しく揺さぶられることで刺激を受けて曲が出来たりするんだなあ、とあらためて思います。
―種さんのような日常を送っていたら、波風が立たないことはあまりなさそうですから…。
種:そうなのか!デビュー30周年のあれこれをやってる間もずっと曲を作ってて、私としては早く次へ行きたい、って本当に思ってて…今は心置きなく新しい作業に入れているので、毎日が楽しくてしょうがないですね。
―そして作り終えたら、また次が作りたくなる。
種:そういうことですね。話がズレますけど、「今まで作って来た中で1番好きな曲を挙げるとしたら何ですか?」っていう質問をよく受けるんですけど、私としては、1番最近に作った曲が1番なんですよ、つねに。それが自分にとってのベスト・ソング。
―創作者って、そういうものかも知れませんね。次に自分がどういうものを作るのか、いつも楽しみにしている自分がいる。
種:出来ない時はすごく苦しいんですけど、私は音楽を作るために生れて来たと思っているので。それはこの30年間でたった1つ揺るぎないことかも知れない。
―たくさんのお時間をいただき、ありがとうございました。
種:こちらこそありがとうございました。読んでくださったみなさんにも感謝します。このロング・インタビューはWEB上では期間限定ですが、別の形でお目にかかることになるかも知れません。決まり次第、オフィシャルサイトでお知らせしますね。それでは、またライヴ会場などでお会いしましょう!