種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー vol.6
『種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー』第6回をアップ致します。
1995年にデビュー10年目を迎えた種ともこ。同年に新曲をライヴ・レコーディングした『感傷』、さらに1997年にはポップかつアグレッシヴな新局面を示した『Locked in Heaven』をリリースするなど、相変わらず精力的な活動を展開する一方で、同作を最後にデビュー以来所属して来たソニー・ミュージックを離れることになります。
今回もどうぞごゆっくりお楽しみ下さい。
構成:種ともこスタッフ
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Chapter 1. 『感傷』―新曲をライヴ・レコーディングした野心作
―今回は『感傷(1995年5月)』から。1995年はデビューから10年目ですね。
種:でも、何もメモリアルなことはやってませんよ。当時は全く興味がなかったです。
―『感傷』は新曲をライヴ・レコーディングした特殊なアルバムですが、コンセプトは誰の発案だったんですか?
種:私です。『HARVEST』で煮詰まっちゃって、何かを変えたいと思ってて。あと、ジュリアン(ウィートリー)じゃない人と仕事がしたかった。
―前回も話してましたね。
種:そこで、旧知の松本大英くんに声をかけたんです。彼は『Che Che-Bye Bye』の頃に梅津(達男)さんのアシスタントを務めてくれてたんだけど、メインのエンジニアとして仕事をするのは初めてでした。
―コンセプトより先に、松本さんと一緒にやろう、というところから始まったんですか?
種:あと、バンドでのレコーディングですね。
―前作とは大きくメンバーが違いますね。
種:ベースがバカボン鈴木さん、ドラムが楠均さん、ギターは前作でも一緒だった保刈久明くん。あと、ライヴでバンマスをやってくれてた上杉洋史くん。そのメンバーでライヴで一発録りがしたい、っていう野望が湧いて来たんですね。そういう方向で進んで行くうちに、だったらお客さんに観てもらったら良いんじゃないの?みたいな話が出て、最終的にコンサート形式になったんです。
―会場はON AIR EAST。まだ大きな倉庫みたいだった頃ですか?
種:はい。
―カヴァーはともかく、まず最初に新曲を全曲作ったわけですよね?
種:もちろんそうです。それからリハーサルをかなりやりました。
―デモの段階でアレンジはある程度決まっていたんですか?それとも、バンドでリハーサルしながら固めて行った感じでしょうか?
種:バンドでやりながらですね。ディレクターのマイケル(河合)さんも曲によっては演奏にも参加して、いろいろアイディアを出してくれました。
Chapter 2. 演奏されなかった「東京で地震があったら」
―ライヴで演奏して、アルバムに収録されなかった曲もあるんですか?阪神淡路大震災の影響で未発表になった「東京で地震があったら」はライヴでは演奏されたんでしたっけ?
種:用意はしてたけど、最終的にはやらなかったですね。リハーサルの時、テレビで地震のニュースが流れて、「燃えてるよ」「実家に連絡した方が良いんじゃないの?」って言われて、連絡しても通じず…そんな状況を覚えてます。
―セットリストから外そうというスタッフからの意見に種さんはなかなか応じなかったと聞いたんですけど、何か理由があったんですか?
種:もちろんその曲が好きだったからです。シングルにしたいと考えていたので。
―特定の地震について歌っているわけじゃないし…。
種:地震が起こって良かったとか、そんなメッセージじゃ当然ないし、地震に遭って苦しんでいる人の気持ちを逆撫でするような曲だとは思わなかったんですけど、当時はそれどころじゃなくて…Charaの「大きな地震がきたって」もZARDの「揺れる想い」も世間的には駄目だったんです。
―状況は理解しながらも、一方では特定の言葉が含まれるだけで駄目、っていうのは正直どうなんだろう?とは思いますね。純粋に作品として評価して欲しい、と…ただ、当時の空気を今どうこう言うのも、ちょっと違いますからね。前後しましたが、ライヴで演奏して収録されなかった楽曲はありましたか?
種:やり直しはしましたね。「今のなし!」とか言って。お客さんも手拍子禁止(笑)。OKが出るまで手拍子とか拍手をしちゃいけなかったので、すごく緊張っていうか、上手く行きますように…みたいな気持ちで観てくれてたと思います。だから、記念撮影ではみんな良いを顔してるじゃないですか(笑)。ここに居合わせた臨場感をすごく味わってもらえたと思うんですよね。
―アルバムの曲順通りに演奏したんですか?
種:違います。ライヴとしてお客さんに楽しんでもらいたかったので、みんな知っている曲もやりました。そういった曲を挟みつつ「次は録ります」って言って新曲を演奏する、みたいな感じだったと思います。
Chapter 3. 新鮮だった「悲しいほど自由」
―カヴァーも含まれていますけど、「ブルーライト・ヨコハマ」や「からたちの花」が選ばれた理由は?
種:「ブルーライト・ヨコハマ」は新しいアレンジでやり直したかった。「からたちの花」はコンピレーション(1995年3月の『春の歌 Sisters Sing Spring』)で「おぼろ月夜」のカヴァーをやって楽しかったから。オリジナル曲では「悲しいほど自由」と「ママ」は森雪之丞さんに作詞して頂きました。
―作詞を依頼しようと思った理由は?
種:「トライしてみたら?」って提案されて。私は正直「ええーっ?!」って思ったんですけど。
―実際に歌詞を目にしていかがでしたか?
種:「悲しいほど自由」は歌詞がFAXで送られて来て、それを見て5分で曲が出来たんですよね。
―メロディを喚起させる歌詞…「さすが、これがプロの仕事か!」と。
種:メッチャ楽しかったです。
―初めてだったから楽しかったのと…。
種:歌詞がすごく良かった。
―「悲しいほど自由」は武部聡志さんがすごく評価されてましたね。ボサノヴァはキャリア初ですか?
種:そうですね。それも含めて新鮮。きっと、森さんもこんな曲になるとは想像してなかったと思うんですよ。
―FAXで歌詞が届いた時からボッサだったと。
種:言葉に持って行かれたっていうか、やられたなあ、って。「下北のスナック」って嫌だなあ、とか。独特のヨゴレ感があって…やっぱり私には書けない。
―手法や曲調だけでも新鮮な上に、このメンツでやっているわけですからね。それがさらに新鮮さを増していると思います。それにしても、この曲がシングルとして選ばれたのは何でなんだろう?
種:やっぱり、その新鮮さからだと思います。今までと違うよね、っていうことで。
Chapter 4. テーマはノスタルジー
―「私はだれ」に戻りましょうか。
種:マイケルさんから「真面目に悩んでる曲を書いてみたら?」って言われて。でも、今聴き返すと本当に甘いな、って思う(笑)。「こんなこと言っちゃって、恥ずかし〜」って。
―「ガラじゃないからさ」は従来の種さんのカラーですね。
種:駄目な女子を描いた私の得意パターンです。
―続いて「九月雨」はドラマティックでタメの効いたロック・ナンバーです。ストリングスはライヴで同時に弾いているんですか?
種:さすがに後でダビングしました。
―どこまでがライヴ演奏で、どこからがダビングなのかも興味が尽きないですね。
種:コーラスは後でやってます。
―男声コーラスは?
種:バカボンさんと楠さん。2人とも歌えるので。
―保刈さんのブルージーなギター・ソロ。
種:(笑)ブルージーっていうか、不思議な感じですけど。みんなバラバラなんですよ、メンバーそれぞれ。
―バカボンさんと楠さんのリズム隊は独特の味がありますね。
種:私が心配してたのは2人のマッチングだったんですけど、バカボンさんが楠さんをとても評価してくれて。ドラムが歌ってるんですよね。
―(「ヨーヨー」を聴きながら)この曲ははっぴいえんどのトリビュート(1993年9月の『はっぴいえんどに捧ぐ』)に参加した影響ではないかと勝手に思ってるんですけど。
種:メチャクチャ影響されてます。
―ちょっとノスタルジックな歌詞で…このアルバムを聴いて、「ノスタルジー」が1つのテーマになってるんじゃないかと思ったんですよ。だからアルバム・タイトルも『感傷』なのかなあ、と。
種:それはあると思います。
―英語だと「センチメンタル」とか「エモーショナル」という感じでしょうか。
種:ウェットなものをやりたかった。
―それは一貫してますね。
種:このメンバーだと大げさにならなくて、いい加減の湿度を保つことが出来たと思います。
Chapter 5. 中国旅行の残像を描いた「My China」。
―「どうせオジサンだから」は種さん得意のパターンですね。実際にこういう人がいたんですか?
種:って言うか、いそうですよね。
―このおじさんにとっては、1970年代が青春だからアレンジがハード・ロック調なのかな、と深読みしたんですけど…関係ないですか?
種:いや、ありますよ。
―派手なギター・ソロとか唸りを上げるオルガンとか。それにしても、ハード・ロックほどノートパソコンのスピーカーで聴くのに不向きな音楽はないなあ。
種:そうですね(笑)。
―「My China」は一転してストイックと言うか…描写が素晴らしいですね。
種:中国に行って、思ったことをそのまま書いたんです。
―「戦車に立ち向かった」というのは天安門事件のことですよね?
種:そうです。その半年後ぐらいに行ったんですよ。
―まだ騒然としてたんじゃないですか?
種:そんな感じはなかったですね。上海…あとはどこだっけ?南の方がメインだったので、北京には行ってないんです。
―田舎にも行かれたんですか?
種:行きましたね、たくさん。ジュリアンと結婚して、さすがにイギリスには行ったことがあったんですけど、アジア圏に一緒に行ったのは初めてだったんです。すごく感動して、帰る時に泣いちゃったんですよ。
―帰りたくなくて?
種:そんなこと、初めてだったんですけど。でも、行ってる間は悲惨で…。
―トイレとか食事とか?
種:みんな並ばないし。今は知りませんけど、その頃の中国って、都会は観光客向けにいろんなことが整い始めてる段階だった。でも、個人旅行は建前として禁止だったんですよ、団体のみで。そんなことも知らずに、今まで貧乏旅行をやって来た感じでフラッと行ったら、ホテルを見つけても泊めてくれないんですよ、どこも。ジュリアンはこんな汚いところでは眠れない、みたいなことを言い出して…お金を盗られたこともあったし。とにかくいろんな目に遭ったんですけど、それまでに行った、例えばペルーとかアフリカとか、あるいはヨーロッパとはもう異質なんですよね。
―日本ともぜんぜん違う。
種:ただ、この国の人達とは兄弟だ、っていう感覚がすごくしたんですよ。どこか親近感を感じて。みんなズルいし、ボるし、本当に頭に来ることはいっぱいあったんですけど、何て言うか、同族意識を感じて…。
―許せてしまえた。
種:そうそう。
―その同族意識が歌詞にも現れているわけですね。滞在期間は?
種:2週間ぐらいかなあ。
―そんな短期間でお金を盗まれたり…何とも濃密な体験(笑)。でも、すっかり馴染んで帰りたくなくなっちゃった、ということですね。忘れられなくて、当時の残像を楽曲に託したと。
種:そうですね。
―「からたちの花」はその後もやってますよね?
種:『種からつなげよう〜笑ってて〜』(2016年)にもライヴ・ヴァージョンを収録しました。何なの、この南国みたいな感じ(笑)。
―駒沢裕城さんのペダル・スティールが効いてますね。
種:多分、マイケルさんのアイディアだと思います。実際に聴いてみて、『感傷』という意味ですごく合う楽器だと感じたんですよ。
Chapter 6. アンプラグドへの共感と反発
―緊張と弛緩が相まって、ライヴ演奏をベースに制作された意図がすごく伝わる仕上がりになっていると思います。
種:メンバーにはブーブー言われましたけどね。「一回しか演奏出来ないからメチャ緊張する」って。当時、アンプラグドが流行って、生楽器や生演奏を見直す風潮があったじゃないですか。私もすごく衝撃を受けました。良い意味でも悪い意味でも、演者の才能や人柄があからさまに出ますから。
―種さんのような、ライヴを大事にする現場叩き上げのミュージシャンにとっては良いことですよね。
種:そう思いました。だから、最初は欠かさず見てたんですけど、その後、日本でもアンプラグドを真似して、誰も彼もギターの弾き語りでコンサートをやるようになって、正直頭に来たんですよ。安易なアンプラグドがあまりにも多くて。
―本物のアンプラグドへの共感と安易なアンプラグドへの反発がこのレコーディング手法に反映されているということですね。続いて「ママ」は森雪之丞さんの作詞。この先の2曲はまさにノスタルジー路線で、最後の「はい、チーズ」はまるでサウンドトラックのように視覚まで刺激する広がりがありますね。それは後奏のストリングス・パートのいろいろなサンプリングに依るところも大きいと思いますが…この点については敢えて触れないでおきましょう(笑)。
種:はい。
―ライヴでは後奏の前までで演奏が終わっていたんですか?
種:シンセでシミュレーションはやりましたけど、後日、生のストリングスをダビングしました。このパートは上杉くんに何回もアレンジをやり直してもらった。
―種さんがアレンジしなかった理由は?
種:ちょっとアカデミックにしたかったから。そういう意味では、上杉くんの方がちゃんとしてますし…「九月雨」はロックでかき回す感じだったので自分でアレンジしました。
―この後奏も独立した作品として成立してますもんね。で、サンプリング素材が流れて、現代の、それもライヴ当日らしきシチュエーションに向かって行って、最後に種さん達の話し声が聞こえますが、これは何をしているところですか?
種:当日のセッティング中に録音してたんですよ。
―後奏とサンプリングは種さんのアイディアですか?
種:そう。私が素材を見つけて来て。こういうコラージュみたいなのって好きなんですよ。
―さすがビートルズ好きですね。
種:後のライヴでは懐かしい映像をいろいろ流してやってたんですよ。
―録音は機材車を入れて?
種:はい。その中にいる大英くんとマイケルさんからマイクを通して「今のやり直しねー」みたいな指示が飛んで来る(笑)。
―ポーズもキマったジャケットはリハーサルの模様ですか?
種:そうですね。
―表紙はリハだから空席で、裏表紙では本番でお客さんも写ってる…ジャケットもコンセプチュアルですね。この写真(ブックレットの最後にあるお客さんとの集合写真)に写ってて、今もライヴに来て下さる方もいらっしゃるんでしょうね。
種:時々「僕、ここにいます!」って言ってくれる人がいるんですよ。バックカバーの写真は「揺れて下さい」っていうカメラマンの指示で、お客さんに揺れてもらって撮ったんです。このアルバムは、レコーディング方法がいつもと違うだけでも、自分にとってすごくフレッシュだったし、バンド・メンバーと程良い緊張感の中で演奏が出来て良かったと思ってます。
―デビュー10年目ということは、当時34歳ぐらい?
種:そうですね。
―油が乗り切ってる頃ですね。
種:油ですか(笑)。結婚して3年位だったかな、この時は。
Chapter 7. 新しいチームでの試行錯誤
―続いては、シングル『カギのかかる天国』(1997年9月)とアルバム『Locked in Heaven』(同年11月)。『感傷』から2年半も経ってますね。
種:実は、制作にすっごく時間がかかったんですよ。
―まずは新たに制作チームを組んだいきさつを伺いましょうか。
種:最初にエンジニアの松林正志くんを紹介してもらって…彼はプログラミングもやってたんです。
―当時は若手ですよね?
種:年齢的には同じ位ですね。彼はダンス・ミュージックがすごく好きで。
―いわゆるクラブ・ミュージックですか?
種:クラブとまでは行かないんですけど、そういう方向の打ち込みにハマッてて、面白いことをやってるな、と思ったんですよ。それで、一緒にチームを組みたい、って話して。同時にその対極にあるような人と組んでも面白いと思ったので、以前、ライヴでギターを弾いてもらった柳沢二三男さんにも声をかけたんです。彼が得意なのはブルース・ギター。「打ち込みものなんか、俺、何も分かんねえ」みたいな感じ。そんな3人でアルバムを作ろう、って構想だったんですよ。でも、いざ組んでみたらぜんぜん意見が合わない。例えば「カギのかかる天国」にしても、跳ねてないリズムと跳ねてる上ものを組み合わせてるんですけど、その混ざり具合が不思議な感じを生み出してるんですよ。そういうのが柳沢さんは好きじゃない。
―サウンド的には、当時売れっ子だったミッチェル・フルームとチャド・ブレイク関連の作品を彷彿させますよね。
種:松林くんが大好きで。
―リズムからフレーズまで、いろんな音色や存在感を持った要素をガーンとぶつける。でも、実際にはすごく緻密に練り上げられている印象です。
種:だってね、プリプロだけで1年近くかかってますもん!
―曲はあらかじめ完成していたということですよね。
種:曲は出来てて、プリプロでデータをやり取りしながら「ああだこうだ」…とにかく、普通は試さないようなことまで細かく突き詰めたんですよ。だから、テイクが何通りも存在するんですね。
―アルバムの1曲目(「Hello My Friend」)を聴くと、構築して、解体して、再構築…そういう手順を踏んでいるように感じられたんですよ。それって、感覚的にはリミックスのような手法ですよね。
種:うん。
―そして種さんが全体をまとめる総監督的な立場だったと。
種:そうです。だから、松林くんには打ち込みをかなり直してもらったし、柳沢さんのギターも同様で。この3人は仲良しチームじゃないし、本気で意見を戦わせながら作った思いがすごくあって、完成した時は本当に嬉しかったです。
―作業を進めて行くうちに出来た曲は?
種:ないと思いますね。プリプロで多めに作って削ろうとは考えてたんですけど、全部が良くて、とても削れなくて…シングルをマキシ形態にしたのはそういう理由もあったんです。
―シングル『カギのかかる天国』は3曲だけで絶妙な世界が構成されていると思ったんですね。逆を言えば、どの曲がA面っていう構成ではなくて、三位一体のような。だから、『Locked in Heaven』とこのシングルは同じパッケージに収まっていても良かった、っていうことですよね?
種:そういうことですね。
―ただ、事情もあったんでしょうね。「先行シングルを出すように」とか。
種:あったと思います。
―(「You’ve come at the right time」を聴きながら)この頃、第1子を出産されたとのことですが。
種:そうだ! 出産のために曲作りが遅れたのもあったな。レコーディングも育児しながらやってた。
―出産や子育ては創作の源になる、って言いますもんね。女性の場合は特に。
Chapter 8. 『Locked in Heaven』―共通点のない3人が創り上げた新しい種ともこ
―そして『Locked in Heaven』ですが、最終的にこういうサウンドを想定して曲作りをしていたわけではないですよね?
種:そうです。ただ、日々作業をしていて、どんどんサウンドが変わって行くのは本当に楽しかったし、純粋に音楽に向き合うことが出来たと思っています。3人で話してたんですけど、私達には共通点が2つしかない。1つは煙草を吸わないこと、もう1つは親がブルーカラーっていうことだけ。
―逆に、共通点がないからこそ、純粋に向き合えたという考え方もあるんでしょうか。
種:そうですね。みんな言っていることがお互いの範疇にないので。各々の意見に思いも寄らない新鮮さを感じてしまうくらいだから、「じゃあ、やってみよう」ってなる。
―柳沢さんみたいにブルージーで職人的なギターも、今までの種さんのアルバムでは聴かれなかったものですね。
種:ここまでブルース色の強い人とはやったことがなかった。加えて、松林くんの打ち込みも本当に斬新だったし。
―(「Hello My Friend」を聴きながら)種さんのメロディと歌とアグレッシヴなサウンドのマッチングはインパクト大ですね。当然ですけど、今までは歌が全ての中心にあって、それを引き立てるアレンジ、エンジニアリングだったものを、歌も1つの楽器みたいに扱っている。ドラムが佐野康夫さんでベースが松永孝義さん…このリズム隊もただものではないですね。さっき言った構築、解体、再構築っていう手法はこの曲に顕著だと思ってて、新しい種ともこのプレゼンテーションとして冒頭に据えられている。このアルバムでは、種さんはチームの1人みたいな感じなんですか?
種:そうですね。私達3人で作りました、っていう意識です。
Chapter 9. ロックがやりたい
―このアルバムは全体が1つの流れとかウネリを持ってるから、各々の曲をピックアップして語るのが難しい気もしますね。
種:そうなんだ。
―多分、サウンドによるところが大きいと思うんです。今まではアルバムで曲ごとに役割分担みたいなのものがあったのが、1つの流れとして…ただ、その中でも「やっぱり泣いちゃった」とか、今までの種さん色の強い楽曲があったりしますけど。この頃って、音楽がすごく多様化して行った時代だと思うんですよ。古いものも新しいものも同列に評価されるようになって…インターネットのおかげだと思うんですけど。
種:当時はロックがやりたい、ってすごく思ってましたね。
―何かに触発されたんですか?
種:昔のロックが再注目されてたじゃないですか、リヴァイヴァル的に。そういった方向性を持った新しいバンドも出て来て、その中でもオアシスにはかなりやられました。
―オアシスはロックの初期衝動を思い起こさせる何かがありましたね。コードをかき鳴らすカタルシスみたいな。その影響か、パワフルなギター・サウンドが随所に聴かれます。柳沢さんの他に、花田裕之さんといまみちともたかさんという名ギタリストが参加されていますし。あと、全体にクールでカッコ良くて、なおかつじっくり聴かせるような方向でまとめられている印象なので、ポップで楽しい種さんが好きな人はひょっとすると戸惑いを感じたのではないでしょうか。
種:そういう意味では、『Locked in Heaven』は種ともこの次のページということですね。
―その後、3人体勢は続いたんでしたっけ?
種:いろいろです。『hetero』(1999年)は松林くんと一緒に、『in』と『out』(2003年)は柳沢さんと2人で作りました。
―ただ、3人で作ったのはこのシングルとアルバムだけ?
種:そうです。
―これだけ水と油のようなメンツだったら、確かに…。
種:2枚は作れないですね。
―完成した満足感が得られたとしても、同時に疲れもあるでしょうし。
種:すっごく詰めましたからね。
―そう考えると『感傷』とは180度違うやり方なんですね。
種:そうです!『感傷』では一発録りをやりたかったんですけど、今度は練りに練って作りたい、チームで、なおかつ緻密にやりたいと思ってました。毎回やり方を変えるのが私の場合は結構あるんですけど…。
Chapter 10. 種ともこって、ぜんぜん年相応じゃない
―「ED」はお子さんのことを歌ってるんですよね?
種:「子供の歌を出して来るのは反則だよ!」ってマイケルさんから言われましたけど(笑)。
―若い頃、家庭や家族について歌うことや歌ってる人に対してどう思っていましたか?
種:「なんだかなあ?」って思ってました(笑)。
―やっぱり我が子が日々成長して行くさまを目の当たりにするとつい触発されちゃう、っていうことですか?
種:そうですね。
―影響を受けないわけがないですもんね。「やっぱり泣いちゃった」はタイトルも含めて、あっけらかんとしてますけど、こういう曲を当時30代で作って歌ってたというのはなかなかすごいことだと思いますよ。
種:何で?
―背伸びをするようになるじゃないですか、年相応に。
種:そうですか?私、年相応な曲なんて、今まで1回も作ってないと思いますよ。そんなこと言ったら「恋愛三部作」とか、ぜんぜん年齢不相応ですよ。
―「ぎゅっ!」とか?
種:何言ってんの?50にもなって(笑)。何て言ったら良いのかな…大人じゃないんだよね。
―「50歳って、もっと大人だと思ってた」って、ポロッと言うことはあっても、それを歌にしてCDを作って発表する人ってそんなにいないと思うんですよね。世間に公表しちゃう人って(笑)。別に意識してやっているわけでも何でもなく、曲を書いていたらこうなっちゃった、ってことですよね?ずっと。
種:そうですね。「Home Sweet Home」はテレビで敬老の日特集みたいなのを見て感動して、そのまんまを歌にしました。
―『感傷』の「My China」じゃないけど…。
種:そのまんま、って結構多いんですよ。
―ストレートに感動したってことでしょうね。
種:田舎に1人で住んでるおばあさんが、日頃は老人ホームにいるんですけど、お盆だけ自分の家に帰って来て、そこに子供達も帰って来る、と。そこで2,3日楽しく過ごして、子供達が帰ったら自分も鍵をかけて老人ホームに帰るんです。
―タイトルの「ホーム」は老人ホームにもかかってる。
種:そうそう。
―確かに、違和感のあるシチュエーションだなあ、とは思ったんですよ。普通なら、おばあちゃんが1人で実家を守ってる、みたいなことが多いんでしょうけど。
種:みんな、お盆だけ実家に帰って来る。その時にしか使われない家…蜃気楼の中の家みたいな。
―それは切ない。
Chapter 11. 2人のロック少女を描いたセミ・ドキュメント「あの頃アタシもカナコも」
種:「HAPPY」も二転三転しましたね。
―ストレートな印象の曲ほど二転三転してるんでしょうか?
種:してますね!「やっぱり泣いちゃった」も実を言うとすごくイレギュラーな曲なので。やっては直しの繰り返しですよ。
―二転三転するのはどういう部分ですか?
種:一概には言えないですね。でも、つまらないことはしたくない、っていうのは常にあったなあ。
―LOVE CIRCUSというバンドについては?
種:ジュリアンに紹介してもらって、この時に初めて一緒にやりました。当時はまだ大学生で、彼等にとってはプロのミュージシャンと仕事するのは初めてだったんですよ。
―「あの頃アタシもカナコも」のギターはちょっとツェッペリンっぽい。
種:この曲もいろいろありました。よくエレキのバッキングだけでやったね、とは言われましたけど。
―タイトルになっているカナコさんは、種さんが大学時代に組んでいたオルフェというバンドのヴォーカルのカナさんですよね?
種:そうです。
―何故、いきなり登場したんですか?再会したとか?
種:いや、特に。一応電話して、カナちゃんの名前を曲名につけていい?って聞いたけど。
―内容はリアル・ストーリーなんでしょうか?
種:ほぼ。
―「女はふりかえることキライな生き物だから」とか「お話はまだ終わりじゃない」とか、単なる懐古趣味じゃないところが種さんらしいなあ、と思います。ほぼエレキ・ギターのみのバックなのに、そんなに二転三転したんですか?
種:最初はバンドでやることも考えて。でも、何か違う、っていうことになって。
―途中から入って来るんですよね。
種:何となく、ここだけ出してみようか、っていう感じだったんですけど。
―種さんのアルバムって、イントロダクションみたいピースが入ってたり、スタジオでの会話が流れたりといった遊び心がありますね。
種:とにかく録ってるんですよ、スタジオでの会話を。その素材を家に持ち帰って、面白いところをピックアップしてサンプラーに入れ込むとか、そういうオタクな作業が大好きだったんです。
―「ありがとう」は曲名とは程遠く…。
種:(笑)荒れてますよね。
―ロックだけど、どこか普通じゃないですよね。敢えてそう作ってるからでしょうし、枠に収まらない感じがかえってロックなんですけど。この曲にもLOVE CIRCUSが参加してますね。柳沢さんと種さんが最初にご一緒されたのは?
種:『音楽』をリリースした頃、ライヴでギターを弾いてもらったんですよ。冨田(恵一)くんとは対照的な人がいますよ、って、ブッキング会社から紹介されて。その時は冨田くんとのツイン・ギターだったんですけど、本当に好対照。
―人間的にはどんな方ですか?
種:確か、同い年なんですよ。ただ、彼は高校を卒業して夜汽車で東京に出て来て、ボーヤをやりながら先輩のトラや演歌のバックをやったり…そういった人なので、何故か柳沢さんって呼んで敬語で話してた。ともかく、一回り上の世代の雰囲気なんですよ。
―長髪ですしね。
種:そうそう。
―1970年代のロック雑誌から飛び出して来たような…。
種:そんな人です。
―松林さんはエンジニアだけあって、理論派という感じですか?
種:そうですね。だから柳沢さんとはぜんぜん合わない(笑)。
―「悩み」は松林さんの高揚感のあるリズムと柳沢さんのアーシーなスライド・ギターが見事に噛み合ってますね。
種:この曲はサリンのことを歌ってるんです。
―地下鉄サリン事件に衝撃を受けて?
種:はい。教えられたことを鵜呑みにしないで、悩んだ方が良いんじゃないか、って。
―事件の記憶がまだ生々しい頃ですよね。アレンジによって高揚感があるサウンドに仕上がってはいるけど、これまでのような歌を真ん中に据えたアレンジだったら、楽曲に対する印象は全く違ったかも知れませんね、「ありがとう」も。
種:そうかも知れない。
―そういう意味では、サウンドだけじゃなく、楽曲自体の持つ意味とか、方向性をも構築、解体、再構築されているということですね。いろいろな異なる要素をぶつけたらどういう効果が得られるか、というトライアルが全体に満ちているというか。大胆だけど、すごく緻密なアプローチですね。
Chapter 12. 挑戦的なアートワーク
―ジャケットにも触れないわけにはいかないんですが…アフロ・ヘアは誰かに影響されたんですか?
種:何でだっけなあ?…分かんないや!ブックレットの写真はほとんど家で撮ったんですよね。
―『Mighty Love』の時とは違う家?
種:あの後、引っ越したので。これは庭のホース。これは飾ってた額。これは電源ケーブルがグッチャグチャになってるのをただ撮っただけ。あとは玄関、台所…。
―紆余曲折があったとは言え、トータルな肌触りはソリッドな、硬質な感じじゃないですか。そういう部分がヴィジュアルにも反映されてるんじゃないか、と思ったんですが…。
種:そうですね。
―「都会の種ともこ」みたいな(笑)。
種:あ!思い出した。撮影の前にヘア&メイクの人がコンセプト的にアフロが良いと思う、って言ってくれて、美容室を紹介してもらったんです。
―でも、厳密にはアフロではないですよね?
種:ないですよ!
―それっぽいけど、アフロはもっと細かいですもんね。重複しますけど、アルバムの内容を端的に表現したジャケットだと思います。シングルに収録された「コンビニ・午前四時」で歌われてる都市生活者の孤独とか…都会の影の部分も感じられるし。結果として、同年代の女性を描くというテーマが1つの完成形として実を結んだ感じはありますよね。
種:30歳を超えて、曖昧なポップさではつまらなくなって来た、って言うか、もっと直接的なメッセージを発したい…さっき言った「悩み」とかね。子供が生まれて、自分が人間として持っているメッセージをもっとクリアに表現したい、って思い始めていた頃だと思います。
―それが視線を向けた挑戦的なヴィジュアルにも現れてます。もちろん、毎回それぞれにインパクトはありますけど、このアルバムのヴィジュアルは人間臭さがより強く感じられますよね。そういう面を放ちたかった?
種:そうかも知れないです。
―アルバムの内容も含めて。
種:例えば「Hello My Friend」は敗者の歌ですし、「カギのかかる天国」もラヴ・ソングと呼ぶにはあまりにも屈折してる。「Home Sweet Home」もそうですけど、決してバラ色の世界ではないとしても、ハッキリしたものを提示したかった。
―だからヴィジュアルにもハッキリとした意志が現れている、ということですね。
種:そうですね。あとは、さっきも言いましたけど、自分の中のロックって何だろう?って再確認する時代だったと思いますね。
―ある意味、原点回帰のような作品でもあるんですね。
Chapter 13. ソニーを離れて新しい活動へ
―そして、本作のリリース後にデビュー以来所属していたソニーとの契約が終わりますが、それは契約期間が満了したのか、アルバムの売り上げが響いてなのか…。
種:売り上げだと思います。こんなに長時間かけてプリプロをやってたんだから、莫大な制作費がかかったはずですよ、正直言って。にも関わらず、それに見合ったセールスが上がらない。
―世はTK全盛時代ですから。
種:なので、契約満了ですが更新はしません、と言われて。マネージャーから半泣きで電話がかかって来たんですけど、私としては「あ、そうなんだ」程度でした。
―未練はない、と。逆に、自らの手で好きなことをやってやろうじゃないか、と割り切った感じですか?
種:そうですね。セールスが伴わなければ出来ないのであれば、私としては「別に良いですよ」って言うだけですよね。
―その後、『hetero』まで2年開きますよね。その間は何をされてたんですか?
種:子育て。1人目の出産後、子育てで時間がなくて、なかなか曲が書けなかった。その時期にソニーとの契約が終了して、次に向けてまた曲を書かなきゃって言ってた頃に第2子を妊娠して、曲を書く時間がなくなっちゃうんじゃないか、っていう不安があったんです。何とかしなければ、って考えてたら、松林くんから『hetero』の企画が持ち込まれたんですよ。他人が作った曲を歌う、っていう。良いタイミングだったから、とにかく企画を進めよう、ってことになって。
―ソニーとの契約完了についてはあまりドラマティックな話はなさそうですね。大喧嘩して泥沼化とか(笑)。
種:ないですね。マイケルさんがとても言いにくそうに「ゴメンね。やっぱりこれ以上は駄目って言われちゃった」って話してくれて。でも、マイケルさんとタッグを組めたことはものすごく良かったと思います。
―マイケルさんのような理解があるディレクターでなかったら、契約満了まで守ってもらえなかったかも知れませんね。
種:そうですね。
―そして、自主的な活動へとシフトして行くわけですね。それでは、続きは次回ということで。