種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー vol.1

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種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー vol.1

種ともこ、祝・デビュー30周年!…ということで、アニバーサリー・イヤーの2016年12月まで、約1年にわたって、スペシャル・インタビューを掲載致します。
アーティスト活動はもちろん、生い立ちから音楽との出会い、学生生活、デビューへの道のり…などなど、当時の写真も交えて、ざっくばらんに種ともこのこれまでを振り返ってお送りする予定です。
vol.1では、種家のルーツに始まり、大学受験までを語っております。いきなり話題が飛躍したり、記憶違いで事実関係と異なる部分もあるかも知れませんが、温かい目で見守って頂けましたら幸いです。
今後、(できる限り?)定期的に本サイトにアップして行きたいと考えておりますので、どうぞお楽しみに!

構成:種ともこスタッフ

Chapter 1. 種家について

-いきなりですが、お生まれは?
種ともこ(以下、種):詳しくは分からないんですけど、物心ついた時は(大阪府)豊中市の団地に住んでました。

-ご両親のお仕事は?
種:父は水道関係のサラリーマンで母は専業主婦。父の仕事の都合で、小学2年生で京都市の桂に、4年生で(京都府)向日市(当時は向日町)の社宅に引っ越しました。

-妹さんがいらっしゃいますよね?
種:はい。2つ下です。

-種さんの名字の由来ご存知でしたら教えてください。
種:父方は鳥取の農家で…水源の近くに住んでたんですけど、一帯が不作だった年に、その辺りだけお米が穫れたそうなんですね。で、父の祖先が収穫したお米を翌年の種米として献上したらしいんですよ。それで、お殿様から「種」という名字を授けられた…という話が伝わってるんですけど、実は、すごい迷惑っていうか(笑)。うちの一族だけなんですよ、「種」って。

-イジメられたりとか。
種:父も私も「ヒマワリの種」とか「何とかの種」って、小さい頃にからかわれて。私の娘は「チューリップの種」って言われて、「チューリップは球根です」って返したら、相手が絶句してたって言ってたけど(笑)。

Chapter 2. 楽器との出会い

-楽器は何歳ぐらいから?
種:私が1歳の時に、母が無断でピアノを買って。父はたまげたそうですけど…冷蔵庫と洗濯機、どっちを買うか、っていう時代に、家に帰ったら、いきなりピアノが置いてあって。

-当然、その頃の記憶はないですよね?
種:ただ、3歳からピアノを習ってて、その先生のことはよく覚えてます。素晴らしい先生だったんで。幼少期からピアノの運指をやると、指の成長によくないから、最初は歌うだけっていう感じで。

3歳。この頃はまだレッスンでは歌を歌ってただけなので、楽譜は撮影のためにただ飾ったと思われます。

3歳。この頃はまだレッスンでは歌を歌ってただけなので、楽譜は撮影のためにただ飾ったと思われます。

-音符に慣れ親しむため?
種:そういうことですね。先生が即興で作るんですよ。「ともこちゃんのうた」とか、簡単な歌を。手書きの譜面で歌うのは、すごくいい経験だったと思うし、子供だから真似して、自分でも「ペンギンのうた」とか作って歌ってたので…。

-3歳で既に作曲されてたんですね(笑)。
種:その先生にピアノを習ったのは、すごくいい思い出ですね。でも、母は本気で私をピアニストにしたかったみたいで、突き指しちゃいけないから、ボール遊び禁止だったのは嫌だったなあ。

-妹さんも習ってたんですか?
種:彼女はとにかく嫌いだったので、すぐやめちゃったかな。

-種さんも反発してたら、人生が変わってたかも知れない?
種:でも、私もやめちゃったんですけどね。

-種さん自身もですか?
種: 誤摩化しながらも、4年生ぐらいまで続けてたんだけど、本当に練習が嫌で…。

-ずっと同じ先生に習ってたんですか?
種:いや。最初のユニークな先生のところには、京都に引っ越してからもしばらく通ってたんですよ、でも、遠くてすごく時間がかかるから、途中で近所のピアノ教室に通うようになって…その先生は大したことなかったなあ。

-それがターニング・ポイントになったのかも?
種:そうかも知れないですね。つまらないし、練習もしないし、ピアニストにするなんて母の夢も現実から離れて行くし…何となくフェードアウトしてやめたんですね。で、中学3年の高校受験の時に、「声楽科に行かないか」って薦められて。声楽科に入るにはピアノの実技もあるので、もう一回レッスンを始めて。結局、声楽科には行かなかったんですけど…。

5歳。ピアノの発表会。

5歳。ピアノの発表会。

Chapter 3. 洋楽好きの叔父さん

-ちょっと時間を戻しましょうか(笑)。小学4年生ぐらいで一旦ピアノをやめて、それ以降は特に楽器には親しまず?
種:叔父さんのギターを弾いてみたりとかしたけど、全然ダメだし…。

-種さんの音楽遍歴に大きな影響を与えた叔父様のことですね(笑)。この方とはどのくらいの間、同居されてたんですか?
種:私が幼稚園から小学何年生までかなあ?

-叔父様は、大学に通うために種家に居候を?
種:そうそう。

-間柄は?
種:母の一番下の弟ですね。父がとても忙しかったんで、運動会とか叔父さんが代わりに来てくれて、「若いお父さんね」って絶対思われてる、って母は嫌がってたんですけど、私は楽しかったですね。

5歳。居候してた大学生の叔父さんと一緒に。

5歳。居候してた大学生の叔父さんと一緒に。

-その叔父様が聴いてたのが、ビートルズだったり…。
種:サイモンとガーファンクルだったり。いわゆる、1960年代から1970年代初頭の洋楽のベスト10みたいなもの。アルバート・ハモンドとか、ギルバート・オサリバンとか、プロコル・ハルムとか…どれもすごく好きだった。

-それまで、ピアノのレッスンで聴いていた音楽とは全く違ったと思いますが、どんなふうに感じましたか?
種:でも、ピアノを習い始めたのと、1年ぐらいしか変わらないんですよね。ピアノの先生も刺激的な存在だったし、その後、すぐに音楽好きな叔父さんがやって来て、一緒に暮らしてたっていうのもすごく大きかったですね。

9歳。ピアノの発表会。

9歳。ピアノの発表会。

Chapter 4. 名門合唱部での3年間

-叔父様はギターも弾かれて…。
種:吉田拓郎とか RCサクセションの「ぼくの好きな先生」を歌ったりしてて、こういうのもあるんだ…って思ったり。一方で、小学生の時に、NHKで『ステージ101』っていう、若い男女が日本語で洋楽を歌う番組が始まって、それも好きになって。番組の最後の楽譜プレゼントに毎回応募してたんですよ。ただ、その譜面にはメロディとコードが書いてあるだけで…その頃、クラシックしかやってないから、コードっていう概念が分からないので、伴奏を適当に考えてつけて歌ってました(笑)。

-立派なアレンジですよね。
種:(笑)。すごくいい勉強になりましたし、楽しかったです。でも、よく怒られましたけどね、母に。練習はいつやんの?って。

-『ステージ101』の影響もあって、中学では合唱を始めたんですか?
種:そうでもなかったんですけど(笑)。私、小さい時から足の骨の病気で体育をしてはいけないってお医者さんに言われてて。中学に入って部活を選ぶ時、全然興味を魅かれるものがなくて、友達に誘われるままに合唱部に入ったんです。それが全国的に有名な名門合唱部だったんですね。顧問の先生も部活のためにいるみたいな名物教師で。とにかく厳しくて…毎月1回、1人づつみんなの前で歌わせて、一軍、二軍…それから、いつでも辞めていいよ、っていう3組に分けるんですよ(笑)。私は、いつ辞めてもいい組に入ってたんですよ、最初は。

-こんなはずでは…って感じでしたか?
種:1年間、本当に屈辱的に過ぎて…来てもらったら迷惑ぐらいの言われ方だったんで。練習は毎日、夏休みも関係なく。一軍は教室でやるんですけど、二軍以下は外なんですよ、暑っつい中(笑)。

-そんな中、状況が変わるきっかけがあったんですか?
種:家から学校まで徒歩で40分ぐらいかかるんですけど、最初の20分はずっと農道なんですよ。その間は誰ともすれ違わないので、課題曲を1人で歌ってたんですね。そのうちに、多分、何かつかんだと思うんですけど…1年の終わりの発表回で先生から、「あれ、どうしたの?」って言われて。

-自分が何かつかんだのと、周りが「オッ!」と思ったタイミングが同じだった?
種:そうですね。先生からは「一軍抜擢!」って言われて。でも、1年生で一軍っていうのはまずなかったんで、すっごい妬まれましたよ。

-妬まれる相手は女子?
種:そう。メチャクチャ嫌な世界です。合唱って、上手い人が立つポジションが決まってるんですよ。で、後ろの人は前の人よりも1ランク下なんですね、実力的に。だから、先生が「こことここチェンジ」とか、立ち位置の指示を出す度に一喜一憂したりして。

-受験で声楽科を推薦してくれたのはその顧問の先生だったんですか?
種:そうですね。

-じゃあ、3年生では主力に?
種:主力メンバーでしたね。副部長だったし。

Chapter 5. 悩ましき高校受験

-田舎道を40分かけて通い、合唱部では副部長まで昇りつめて…ところで、勉強はどうだったんですか?
種:普通って感じかな。英語は好きだったんで…それも絶対洋楽を聴いてたからだと思う。

-音楽はどうでしたか?
種:音楽はよかったですね。

-そして、顧問の先生から声楽科への進学を薦められて…近くに有名な高校があったんですか?
種:京都にHっていう高校があって、そこの声楽科に入ると、ほとんどが芸大とかそういう方面へ進むっていう…。

-でも、結局は声楽科には行かなかったっていうお話ですけど。
種:うん。自分の将来を考えた時に、クラシックの世界がそんなに好きじゃないっていうことと、声楽科に行くってことは、ほぼ100%女子で…女子校の雰囲気が嫌だったってことで(笑)。

-合唱部でそういう状況を味わったんですもんね。
種:もっとえげつないパターンになるだろうなって。あと、受験のためにピアノのレッスンを受けてた先生から「何のために声楽科に行くの?」って聞かれて、「先生に薦められて…」って答えると、「自分の将来をそんなふうに決めていいのかしら?今は将来を狭めるような選択はしない方がいいんじゃないの?」みたいに言われて…それもそうだなって。あと、片想いの好きな人が通ってる高校に行きたかった(笑)。

-でも、声楽科の受験のためにピアノのレッスンを始めたってことは、一時は本気で考えてたってことですよね?
種:だって、その学校に行ったら、音楽ばっかりで普通の勉強をしなくていいって聞いて…数学とか理科とか大嫌いだったから、それは自分にとってものすごく魅力だったんですけど。

-揺れ動く期間はどれぐらいだったんですか?
種:半年は悩みましたね。

-その頃はずっとお父様は同じ仕事を?
種:脱サラして、ごく零細ですけど自分で水道関係の会社を経営してました。

-じゃあ、経済状態もよくなったってことですか?サラリーマンの時より。
種:大変そうでしたよ、最初は。それまでは、何があっても一定の収入があったわけですけど、工事の受注がなければ0なので。でも、父は小さくても、自分がトップっていうところをずっと目指してたので、夢がかなったわけですよね。ただ、母は大変だったと思いますよ、経済的に。

ピアノの発表会。高校1年のころ。これが最後の発表会。 この後、クラシックのピアノレッスンをやめ、家でロックやポップスの1日1曲コピー生活になる。

ピアノの発表会。高校1年のころ。これが最後の発表会。
この後、クラシックのピアノレッスンをやめ、家でロックやポップスの1日1曲コピー生活になる。

Chapter 6. 日課は1日1曲コピー

-高校の話に戻りますけど、結局、普通の公立高校に行って、恋は成就したんですか?
種:しないです(笑)。ダメダメでした。

-高校ではどんな学生生活だったんですか?
種:今で言うなら不登校ですね。当時はそんな言葉はないんで、サボり魔って言われてたんですけど。

-何かきっかけがあったとか?
種:つまらなかった、学校が。どう考えてもつまらなかった。

-授業も友達も…全てにおいて?
種:全てがつまらなかった。中学までは近所の子供達がみんな同じ学校に行くわけですよね。で、私の通ってた中学って、わりと変わってて。向日市って、競輪場があったりして、そんなハイソなところじゃなかったんですよ。なんで、学校もメチャクチャだったし。

-イイ奴もいて、悪い奴もいて…それが極端で?
種:そうそう。「アイツ、家出してるらしいよ」みたいな。自分はそうじゃなかったけど、いわゆる不良と仲がよかったりして…いろんな人がいて、それはそれで面白かったんだけど、公立高校ではみんな同じような人ばっかりで。

-進学校だったんですか?
種:わりと勉強は頑張りましょうね、っていう感じで、一流とか、そういうことを言う校長がいたりして。あと、骨の病気で度々手術をしたんですけど、その何回目かが高校の時で、何ヶ月も入院して学校に馴染みづらくなって…。よく覚えてるんですけど、通学路の坂を降りたところに校門があったんですよ。そこに始業時間ギリギリに生徒達が駆け込んでるのを見てると、急にウンザリして家に帰っちゃった(笑)。

-ある日、その光景を見て突然に?
種:その一員になるのがものすごく嫌で。でも、有り難かったのは、家に帰っても、母が何にも言わなかったんですよね。あの時に怒られてたら、絶対不良になってたと思うんですけど、黙って朝ドラ見てて…(笑)。もう、しょうがないって諦めてたんでしょうけど。

-それからは行ったり、行かなかったり?
種:ノートに出席日数をつけて、ギリギリの日だけ行くっていう。進級できないと困るじゃないですか。行っても遅刻ばっかりで、クラスの遅刻表でもダントツ1位(笑)。

-たまに行っても気まずいでしょう?
種:友達、いなかったですね、ほとんど。

-地元で幼馴染みと遊んでる、みたいな?
種:いや、1人で家にいました。そして音楽を聴いてて、1日1曲コピーっていうのをやろうと思い立って、いろんな曲をピアノでコピーし始めました。

-どんな音楽を?
種:洋楽ですね。エルトン・ジョンとかシカゴとか、ビリー・ジョエルとかTOTOとか…とにかくその時に流行ってそうなやつを。

-鍵盤楽器が入ってたら何でも?
種:ジャンルを問わず。でも、その頃はジャズがあんまり好きではなかったので、やっぱりロック、ポップス。

-何か目標があってやってたわけではないんですよね?
種:ただ楽しかった、って感じかなあ。

-期間的にはどのくらい?
種:2年ぐらい。

-1日1曲だとしたら、すごい曲数だと思うんですけど…。
種:休んでる時もあったんで。でも、結構やりましたね。譜面がなかったので、耳コピで。とにかく何回も何回も聴いて…。

-その過程で、こうやったら気持ちいいんだなあ、とか、こうやったらこういうふうに聴こえるんだなあ、とかっていう感覚を自然に体得して行ったっていうことですよね。
種:そうですね。

Chapter 7. 就職組から大学進学へ

-片や、学校には最低日数だけ登校して、とにかく進級だけはして、3年生になって…後に同志社大学に進学されていますけど、3年生の1年間、とにかく頑張ったということですか?
種:2年から3年になる時に、進路によってクラス分けがあったんですね。1組から15組まで、1組2組は国公立クラス、他にも何とかクラスっていうのがあって…私がいたのは就職、専門学校組っていう15組だったんですね。だから、3年生になったら、家庭科とか、男子は旋盤とか溶接とか…普通の授業はほとんどなかったんですね。

-その時点で何になりたいというのも特になく?
種:先生に進路を聞かれて、何となく写真っていいなあ、とか思って(笑)、写真専門学校の資料を取り寄せて、ここに行くとか言ったら「あ、そうなの?」って…先生もやる気なし(笑)。同時に、1人でいろんなことを考え始めて。ニーチェとかを読んで、「人生って何なんだろう?」とか「生きるとは?」とか考えてるうちに、「よし、哲学を勉強しよう」と思って。それで先生に「哲学科に行きたいんですけど…」って言ったらメチャクチャ怒られて。

-それが3年になったばかりの時?
種:いや、3年の秋とか。「お前の出席日数では推薦もあげられないし、15組にいるのに今さら大学受験なんて!」って、すっごく怒られて。メチャクチャ腹が立って、「お前の世話にはならねーよ!」って言い返して。それで真剣に勉強し始めたっていう。

-限りなくゼロに近かったわけですよね?可能性としては。
種:両親からは「哲学とか、女の子が勉強したら縁遠くなるばっかりでしょ!」って反対されて。

-縁遠くって、結婚ですか?
種:そういうこと。「短大の家政科とか、そういうところに行きなさい」って言われたんですけど…。

-それ以降の勉強のペースは?
種:1日中ですね。私立だから英語と国語と日本史の3科目、とにかく国語と日本史を毎日勉強するっていう…。英語は大丈夫だったんで。学校には模擬試験の時だけ行って。

-自分が今どのランクにいるかを確認するために?
種:そしたら、どんどん上がって来たんですよ、模試の結果が。先生からは、「お前、嫌な奴だな」って言われたんですけど。学校にも来ず、人の意見も聞かず、模試だけ利用して…っていうことだと思うんですけど。だから、合格した時も「おめでとう」って言ってくれなかったですよ(笑)。

-受験の頃には、結構自信はありました?
種:いや!なかったです。蓋を開けるまでは分からないって感じで。

-もしダメだったら、浪人するつもりで?
種:浪人は絶対に許してくれなかったので、ダメだったら、2次募集で短大の家政科って…恐らく、母は、骨の病気のこともあって、私が結婚できないんじゃないか、って考えてたみたいで…だから、「自分で稼ぐことを考えなさい」って言われてたんですけど、母は自分が仕事をしたことがないから、和裁とか、編み物とか、そういうことしか考えられない。だから、「短大の家政科に行って、仕立て屋さんになって生きて行くっていうのを考えたら?」って言われて。ダメだったら諦めるだろうっていう判断が両親にはあったと思います。

-受験は同志社一本だったんですか?
種:同志社と立命館受けたのか。ひょっとしたら、関大とか受けたかなあ。

-そして無事、同志社大学の哲学科に合格されたわけですけど、その時はどう思われましたか?
種:「足かせがはずれた!」って気持ちでしたね。「ノルマこなしたんだから、もう誰にも文句言わせねー!!!」って感じでした(笑)。

vol.2につづく

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30th Anniversary

デビュー30周年にあたって、種ともこからのメッセージ

種ともこ、この年末をもちましてデビュー30周年となります。
これってホントにワタシの音楽を聴いてくださる皆さまのおかげです。
まずはお礼を言わせてください。
ありがとうございます!
それから、ワタシが音楽を届ける作業に力を貸してくれた全てのミュージシャン、スタッフにもお礼を言わせてください。
ホントにお世話になりました&なってます。

死ぬまで音楽創っていたい。いい音楽を創っていたい。これが今の私の願いです。

あっという間の30年間でした。ってことは楽しい30年間でした。楽しい時間は早く過ぎますもの。

この30年を記念して、あれこれ楽しい企画を考えております。
皆さまのお財布を休ませません!
楽しみにしていてね。覚悟していてね。

2015.12.19
種ともこ

種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー 番外編

vol.9でエンディングを迎えた本編に続きまして、2016年11月から2017年1月にかけて本サイトを通じてファンのみなさんからお寄せいただいたご質問に種ともこがお答えするアンコール企画。
たくさんのご質問、感謝しております。その中から種ともこがすべて目を通した上で厳選し、真剣に返答させていただきました(ご紹介できなかったみなさん、ごめんなさい)。
どうぞごゆっくりお楽しみ下さい。


ロング・インタビューはこちらから


種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー vol.9

「恋愛三部作」―制作を中断しながら東日本大震災をきっかけに完成に至った第1弾『Uh Baby Baby』(2011年)、突き抜けた開放感の中に緊張感をあわせ持つ第2弾『True Love Songs』(2013年)、完結編にして種ともこポップスの金字塔『Love Song Remains The Same』(2015年)―を中心に、全編ピアノと歌のみによる「恋愛三部作」のスピンオフ『家のピアノ』(2014年)など、自身が「波乱二万丈」と語った2010年から2015年を大いに語っています。さらには、種ともこがこれまでに参加して来たコンピレーション作品にも触れてみました。
ついにエンディングを迎えるロング・インタビュー、「最高で感動の」最終回となりますでしょうか。最後までごゆっくりお楽しみ下さい。
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種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー 特別編 vol.3

特別編の最終回として、映画監督の周防正行氏との対談を掲載いたします。種ともこがエンディング曲「遠く、そして近く」の作詞と歌唱を手がけた『終の信託』(2012年)、同じく作詞、歌唱指導、京都弁指導を担当した『舞妓はレディ』(2014年)を中心に、リーダーシップ論や変化を続けることの大切さなど、熱く、深く語り合っています。
映画と音楽―フィールドは異なれど、お互いに対するリスペクトが感じられる、特別編の最終回に相応しい濃密な対談になりました。
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種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー vol.8

少数精鋭でシンプルな世界を追求した『カナリヤ』、フレッシュでバラエティ豊かな『おひさま』という意欲作をリリースするもレーベルが倒産。完全自主制作に移行して、ソニー以降の名作選『カナリヤとおひさまとそれから』と実験精神あふれる童謡カヴァー・アルバム『雪月花』をリリースした2005年から2009年を中心に、デビュー20周年記念セルフ・カヴァー・アルバム『ウタイツガレルウタ』や新たな層にアピールしたアニメ『ガサラキ』『トリニティ・ブラッド』のテーマ曲、映像と音楽のコラボレーションによるライヴ・シリーズ『VISION & PIANO』についても語っております。
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種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー vol.7

『Locked in Heaven』(1997年)を最後に、ソニー・ミュージックとの契約が終了し、自主的に活動して行くことを決意した種ともこ。
第二子の妊娠中に企画が浮上、初めて他人が書き下ろした楽曲を歌った新境地『hetero』(1999年)、アーティスト廃業の危機から一転、種ともこ流ポップスの王道を追求した初インディーズ作『in』『out』(2003年)、紆余曲折の末に制作の主導権を勝ち取ったソニー時代の集大成『GOLDEN☆BEST 11YEAR’S WORKS』(2003年)について語っております。
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種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー 特別編 vol.2

特別編として、1991年のアルバム『KISS OF LIFE』から『Locked In Heaven』、さらにデビュー20周年にとして2006年にリリースされた『ウタイツガレルウタ』にディレクター、プロデューサーとして関わられた河合誠一マイケルさんとの対談を掲載致します。
アーティストとスタッフという関係を超えた自然な繋がりが感じられる、絶妙な二人のやり取りをどうぞお楽しみ下さい。
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種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー vol.6

『種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー』第6回をアップ致します。
1995年にデビュー10年目を迎えた種ともこ。同年に新曲をライヴ・レコーディングした『感傷』、さらに1997年にはポップかつアグレッシヴな新局面を示した『Locked in Heaven』をリリースするなど、相変わらず精力的な活動を展開する一方で、同作を最後にデビュー以来所属して来たソニー・ミュージックを離れることになります。
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種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー vol.5

『種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー』第5回をアップ致します。
アルバム『音楽』(1990年)でさらなる到達点に達すると同時に、新たな制作環境の模索やスタッフの交代など、節目を迎えた種ともこ。
1991年、完全セルフ・プロデュースで制作された『KISS OF LIFE』、1993年、最新機材の導入により実現したホーム&スタジオ・レコーディングの充実作『Mighty Love』、そしてポップで粒ぞろいな楽曲が詰まった1994年の『HARVEST』が今回のテーマとなります。
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種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー vol.4

『種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー』第四回をアップ致します。
1985年12月にCBSソニー(当時)からデビューし、武部聡志さんプロデュースのもと、3枚のアルバムを制作。
そしてコンピレーション・アルバム『ベクトルのかなたで待ってて』を挟んで、ついに激動のセルフ・プロデュース期へと突入します。今回はその初期3作品『O・HA・YO』『うれしいひとこと』『音楽』に焦点を当てて、ざっくばらんに語っております。
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種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー 特別編

ご好評頂いております『種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー』、幼少期に始まり、CBSソニーからのデビューを経て、アルバム『Che Che-Bye Bye』の完成までたどり着きました。
今回は特別編として、デビュー・シングル「You’re The One」から3作目となる『Che Che…』までのプロデュース/アレンジを担当された武部聡志さんにお忙しい中お時間をいただき行いました対談を掲載致します。


対談はこちらから


種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー vol.3

『種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー』第三回をアップ致します。
1985年12月21日、シングル「You’re The One」でCBSソニー(当時)からめでたくデビュー!
アーティストとアレンジャーという立場を超えた実り多い師弟関係を築くことになった武部聡志さんとのコラボレーションが冴えわたる初期の三作『いっしょに、ねっ。』『みんな愛のせいね。』『Che Che-Bye Bye』(+『ベクトルのかなたで待ってて』)に焦点を当てて、今回もざっくばらんに語っております。
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種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー vol.2

先月からスタートしました『種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー』第二回をアップ致します。
今回は同志社大学入学後からデビュー直前まで、”アーティスト”種ともこにとって重要と思われる時代についてざっくばらんに語っております。
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種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー vol.1

種ともこ、祝・デビュー30周年!…ということで、アニバーサリー・イヤーの2016年12月まで、約1年にわたって、スペシャル・インタビューを掲載致します。
アーティスト活動はもちろん、生い立ちから音楽との出会い、学生生活、デビューへの道のり…などなど、当時の写真も交えて、ざっくばらんに種ともこのこれまでを振り返ってお送りする予定です。
vol.1では、種家のルーツに始まり、大学受験までを語っております。
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ロング・インタビューはこちらから


種ともこ 30thイヤー!スターティング・イベント ~ 30年いっしょに、ねっ!

種ともこデビュー30周年を記念した、秘蔵写真などの展示、映像上映、トークショーなどの、30周年イヤー!スターティングイベント「種ともこCafe」及び「種ともこ記念トークショー&チャリティーオークション」を、3/31(木)から4/2(土)の期間内で、駒沢大学駅徒歩1分にあるイベントスペース<エムズ・カンティーナ>にて開催いたします。是非!この機会にあなたが知らなかった種ともこに逢いに来てください。皆様のお越しをお待ちしております。
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イベントの詳細はこちら


『Love Song Remains The Same』ハイレゾ音楽配信開始

昨年10/21に発売されました種ともこの最新作『Love Song Remains The Same』のハイレゾ音楽配信(96kHz/24bit)が始まりました。種ともこが打ち立てた”金字塔”を高音質でお楽しみになりたい方は各ハイレゾ配信サイトへGO!

主なハイレゾ配信サイト
mora
e-onkyo music
VICTOR STUDIO HD-Music
OTOTOY
groovers


『Love Song Remains The Same』ハイレゾ音楽配信記念 座談会

2015年10月発売の種ともこの最新アルバム『Love Song Remains The Same』のハイレゾ音楽配信(96kHz/24bit)が1月27日から始まりました。
デビュー30周年イヤー企画の第一弾、さらにキャリア初となるハイレゾ配信を記念して、種ともこ本人と同作品をともに作り上げた共同プロデューサーの菅原弘明、ミキシング・エンジニアの松本大英両氏がCDとハイレゾ音源とを聴き比べながら行った座談会の模様をここに掲載致します。
座談会の記事はこちら


《種ともこ デビュー30周年企画第1弾》
『Love Song Remains The Same』高音質音楽配信(ハイレゾ音楽配信)決定!!

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2015年10月21日に発売されたばかりの”恋愛三部作”完結編『Love Song Remains The Same』。種ともこ本人が「金字塔」と断言する絶対的自信作の(ハイレゾ音楽配信)(24bit/96kHz。通常CDは16bit/44.1kHz)が決定しました!

配信開始日は2016年1月27日の予定。配信サイト等の詳細は追ってお知らせ致します。どうぞご期待下さい。


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